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【第39回】正直TKA,未来-5:ハードサイエンスとソフトサイエンス:“医学は理系,医療は文系“

阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳 かどや よしのり

現状で機能が安定して得られているなら,機能向上に限界があることを踏まえたアプローチが必要であると思う。TKAの歴史においてそれが初めて起こったのが1980年代におけるCRの導入であり,その経緯や問題点については過去に別章で考察した(正直TKA-過去編)。近年は外科医の社会的利益や経済的利益が関わって問題が複雑になり,大きくなりつつある。まだ記憶に新しいMISの大流行もDVT予防狂騒曲も,本質的には強欲が生んだ一種の “pandemic” であり,昨今のKAを初めとするアライメントの問題も基本的には同じことの繰り返しである。

「歴史は繰り返さない。繰り返すのは常に人間である」—ヴォルテール

われわれはなぜ歴史を正しく認識できずに間違いを “繰り返し” 起こすのだろうか? それはわれわれのアプローチ(考え方)に最大の原因があるからではないかと思う。医療における “正しい選択” は “EBMや統計学” といった合理的なもの(ハードサイエンス)からは(多分)得られない。ここで言う正しさとは合理的 (rational)であるというよりは,適切さ(appropriateness)または腹落ち感覚(reasonable)に近いものなのだが,この “正しさ” とは何を知っているか”よりも “どう振る舞うか” というソフトサイエンスに大きく関わるものなのだ。

ここで言うハードサイエンスとは,所謂 “理系” の領域であり,数量化,定量化できる現象を対象とする学問領域である。一方ソフトサイエンスは “文系” の領域で心理や価値観など数量化,定量化できないものを主な対象とする。医学部は当然理系であるから,術者(医師)がハードサイエンス的な思考経路を持っている(あるいは持つように訓練された)集団であることは間違いない。だが実際の医療現場にはEBMや統計学のような理詰めのものだけではなく,複雑で定量化が難しい人間の心理や行動,つまりソフトサイエンスが大きく関わっている。このように “医学は理系,医療は文系” だから間違いが “繰り返し” 起こるのだ。

“医療” は患者さんという生身の人間に対して行われる行為なうえに,患者さんは病気になって感情・心理に最も影響されやすい状態だから,人間心理,つまり “人間の本性” を考えに入れておかないと,患者さんを正しく理解できないし,正しい対処もできないよって私たちに今求められているのはハードサイエンスとソフトサイエンスを融合した,医療サイエンス(医療スキル)ともいうべき領域なのだ(上表)。これは理系でも文系でもない応用的なもので,スキルを使いこなすスキルと定義できるかもしれない。

この医療スキルはどのようにすれば学べるだろうか? これは表現や,伝達が難しいので,実践,経験を通じてしか学べない部分がある。しかし現在の医師の教育システム自体が,“医療” に不向きな “理系” 医師を大量生産していることも事実である。医学部で学んだ人は実感しているだろうが,その教育内容は大半が無味乾燥な暗記であり,理系の知識はほとんど要求されない。極論すれば足し算引き算が出来れば十分であり,微分積分の知識はまったく不要である。この医学部での6年間は,明晰であった “理系脳” を退化させるには十分な時間である。私は常々 “本当に頭のよい人” は医学部に来てはいけない,もったいない!と感じている。それこそ才能の無駄遣いである。私は医学部を文系に(少なくとも一定数を)改編した方が,まだよい医師が増えるのではないかと真剣に考えている。医学はともかく医療に適性があるのは人の痛みがわかり,思いやりがあって忍耐強い,どちらかと言えば “愚直” な人なのではないだろうか。

医学部での教育における文系科目についても,英語論文を読む力はある程度トレーニングされるが,医療スキルの根幹をなすコミュニケーション能力やその基本となる日本語能力について学ぶ機会は皆無である。私は立場上多くの若手医師と接する機会があったが,彼らの文系の能力,特に日本語能力に関しては危機感を感じることが多かった。持ってきた原稿を読んで “もうちょっと推敲してこい!” と言うと “ってなんですか?“ と真顔で問い返されて心が折れたこともある。昨今,医師のコミュニケーション能力の低さが問題視されているが,現在の医師の教育システム自体が “医療” に不向きな “理系も文系もできない” 医師を大量生産しているとも言えよう。

このようなソフトサイエンスの重要性は実際医療の分野ではひどく過小評価されている(というより,ほとんど顧みられない)。医学とはEBMに基づいたScienceだと考えられているし,学問としてはそうあるべきだろう。。医師は日常臨床においてStudy designの完璧なRCTや,それを集めたmeta-analysisにより正解を導き出し,その通りに選択すればよいと思われがちである。しかしsystematic reviewやmeta-analysisから正しい選択(特に外科手技の選択)について有益な情報が得られることは(私の経験と照らし合わせてみても)極めて稀である。

では,われわれはどのようにすれば “正しく” 振る舞えるのであろうか? さまざまな方策が考えられるが,“医療” は生身の人間に対して行われるから,人間の本性,つまり “ヒトは欲張りなだけでなくすぐに飽きる” ということを常に意識するのが,単純だが一番効果的だと思う。

患者を集団として捉えれば,患者側にも “限界効用逓減” が存在するので,患者の期待度という一見純粋な “気持ち” をもコントロールするだけのコミュニケーション能力が必要である。そして術者としては,無意味なチャレンジによって “不要なものを手に入れようとして,すでに手にしている大切なものを失ってしまうことほど無意味なことはない”。読者の皆さんがTKAの分野で革新的な業績を挙げることは(かなり高い確率で)ないだろう。しかし,目の前にいる患者さんの必要としている機能の大半を手に入れて彼(彼女)の幸福に貢献することは可能だし,実際に実現していることかもしれないのだ。その時点で “Enough is not too little” なのである。そしてそれがあなたに当てはまると思うなら,“動き続けるGoal post を止める” ことが何よりも重要である。このような心構えで手術手技を選択していけば “Never be the first, and never be the last” という外科医にとって大切な振る舞いを実践できるだろう。

次回は,若手医師が手術手技を習得するに当たっての実践的アドバイスをしてみたい。

Get the goalposts to stop moving: Enough is not too little!

(つづく)


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