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【第28回】正直TKA,過去-14:過去から現在へ:温故知新と吾唯足知(吾唯足るを知る):その1

阪和第二泉北病院 阪和人工関節センター 総長
格谷義徳 かどや よしのり

今回TKAデザインや手術手技について,古い論文を読み返してみて強く感じたことがある。それは“温故知新”と“吾唯足知(吾唯足るを知る)”の整合という課題である。両者とも大切な真理を含んでいるのは間違いないが,この一部相反する理念の整合(バランス)は,分野を問わず永遠の課題であろう(四文字熟語を持ち出して教訓を垂れるのは,年を取ったせいかもしれない)。

前者は「故ふるきを温たずねて新あたらしきを知しる」または「故ふるきを温あたためて新あたらしきを知しる」と読まれる。(温を“たずねて”とか“あたためて”と読むのが格好良いし味わい深い)。“過去にあったことをよく調べ,学び,そうして得られた知見を活かして新たな知識を得ることが大切だ”と解釈される。歴史から学ぶことが軽視され,混迷を深めている昨今のTKA業界において求められるのは,正しい意味での“温故”なのだろう。かくいう私も,こういう原稿を書く機会がなければ古い論文を改めて読むことはなかっただろう。

そんな“温故”の結果を正しく解釈したうえで,今後に生かしていくことが“知新”である。この“知新”とは必ずしも新しいものに挑戦するという意味ではなく,“現状への認識を深めていく”ことだという解釈もあるようだ。私はこちらが的を射ていると思う。だいたい,凡人が思いつくものなど古今東西あまり変わらない。その意味で時代を進められるのはいつもごく少数の天才だけなのである。読者の皆さんも含めて私たちが天才である確率は限りなくゼロに近い。だから大多数の凡人は先人に学び,用心深く事を進めるに越したことはないのである。新たな挑戦をすべて否定するわけではないが,開発から50年以上経過したTKAにおいては,成熟した分野だからこそ“足るを知る”こともとても重要だと思う。

人工関節の歴史は,実は“失敗の歴史”でもある。過去に成績不良により捨て去られたデザインや手技は枚挙にいとまがない。だから過去にあったことをよく調べ,学び,現代への認識を深めたうえで同じ間違いを繰り返さないことが一番重要になってくる。しかし現実には,歴史を知れば行われないような試みも,Challengeという名の下に正当化されていることも多い。この機会に,本当の意味での“温故知新”と“吾唯足知(吾唯足るを知る)”の重要性をもう一度考えてみることにしよう。

手術目標の変遷とその問題点(ハイパフォーマンスの追求と患者満足度)

開発当初のTKAはほぼ廃用状態,点数的には0点近くまで低下した膝機能を70点以上に回復させることが目標であった。そしてそのような厳しい状況下では,PCL切除もRoller in troughもGap techniqueが苦肉の策であっただろうことは先に述べた。つまり,当時の選択は“最善”や“最高”を求めたものではなく“現状を踏まえた現実論”であり,“妥協の産物”であったと捉えるとその後の変遷が理解しやすい。

症例が積み重なり,安定した成績が得られるようになると,変形の軽い症例も手術の対象となる。術前の機能がある程度温存されているから,70点を取ることはもはや目標ではなくなる。術前の機能が50点ある人は80点を目指し,60点の人は90点を,そして70点の人は100点満点を欲するようになる。人間の欲望には限りがないので当然の成り行きであり,これは患者側,術者側を問わない。

この状況について思考実験をしてみよう。

TKAの目的は膝関節機能●●を向上させることである(究極的には満足度●●●を向上させることであろうが,関節機能と満足度の関係性は一筋縄ではいかないので,ここではいったん機能として話を進める)。これを図示してみると,対象患者について術前後の機能で決定される座標(下図✗印)が青色部分に存在することが外科手術の目的(前提)になる。

シンプルな話のようで,実は関節機能を定量化することはそれほど簡単ではない。膝関節の機能とは? 重要度は? 定量法は? と考えてみるとこれが非常に難しいのだ。結局は痛みの程度,可動域,筋力,ADL機能などさまざまなパラメータを組み合わせた“臨床スコア●●●●●”なるものをつけることになるのだが,どのパラメータをどう配分するかについては科学的な根拠があるわけではない。近年は患者立脚型の評価が注目されているが,これとてスコアにまつわる根源的な問題は残ったままである。臨床スコアが患者満足度を正確に反映していないと実感しつつ,発表に必要だからとりあえずつけているという人が大半であろう。だから重箱の隅をつついたような項目のp値の有無で論議が進んでしまうと,まったく腹落ちしないのは当然なのだ。しかしそんなことを言っていても話が進まない。ひとますここでは,手術手技の評価には“機能の評価法”と“機能と満足度の関係”という根源的な不確実性(定量化できない曖昧さ)が存在することだけを頭の片隅に置いておくことにしよう。

話を元に戻そう。TKA黎明期の症例は下図の✗に位置する。術前に0点近くまで低下していた機能が,術後には70点程度に回復するのだから,患者さんの満足度は非常に高い。

そうなると徐々に適応症例が拡大される。術者も自信が出てくるし,評判を聞いて患者さんも希望するので,変形の軽い(機能の保たれた)症例も対象となってくる(下図)。

その時の各人の機能改善度(幅)を赤矢印で示すと,下図のようになる。

つまり術前0点の人が術後70点になれば,機能上昇幅は70点だが,術前60点の人が術後70点になっても機能上昇幅は10点しかない。このように術前機能が保たれていればいるほど,(術後機能が一定だとすれば)機能上昇幅は小さくなる。だから適応症例を拡大して軽傷例を手術するようになると,満足度が低下してしまうことは避けられない。

実際には術後機能の良い人の術後機能は高い傾向があるので(可動域を考えれば分かりやすい)実際には勾配ができるのだが(下図),それを考えると話が煩雑になりすぎるので,ひとまずここではそれは考慮しないこととする。

この適応症例の拡大に伴う満足度の低下への対応としては2つ考えられる。すなわち,
① 手術手技を改良して術後機能を向上させる
② 十分な機能向上を見込めない症例を除外する(適応症例を拡大しない)
の方法である。

① 手術手技の改良により術後機能の向上を目指すアプローチ
② 適応症例を厳しく守るアプローチ

いずれの方策でも最低限の機能上昇幅と患者満足度は確保される。前者は術後機能の向上が可能であり,それにチャレンジするという立場である。対して後者は,術後機能が容易に向上できないという前提で,適応症例を広げないというやり方である。前者の方がはるかに魅力的だし,世間的な受けも格段によい。“機能向上”には絶対的な正義が存在するし,夢を追う“チャレンジ”は古今東西を問わず人を引きつける。対照的に後者は夢がなく,保守的,臆病と批判されることも多い。果たしてそうなのだろうか? 色々考えた末に私がたどり着いた結論は,

時と場合による●●●●●●●

という当たり前のことになってしまった。最終的には状況によってバランスを取らなければならないということなのだが,このことを突き詰めて考えてみるとさまざまな気付きがある。次の章ではこの“時と場合”について深掘りしていきたい。

(つづく)


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