ぼくは勉強ができない

僕自身が勉強ができないって話をしたい訳ではなく、山田詠美の小説の ぼくは勉強ができない を読んで、思ったことを書きます。そもそも、僕が勉強ができないって言ったところで、反感買われそうなだけだし、こう言ってしまうこと自体もそうなんだけど、勉強に関しては人より思うところはあった方だとは思いますが、ここでは割愛します。

主人公、時田秀美に対して、初恋の人でしたとか、かっこいい、俺もこういうふうになりたいと思ったとか、そういうコメントを本作を読む前に目にしてはいましたが、僕はあまり、憧れだとかいった感情は抱きませんでしたね。ただ、羨ましいくはあった(笑)。幼い頃から自我かしっかりしていて、その時期を過ごすというのは、言わば、普通の人からしてみれば、人生を1回やり直しているようなもんじゃないですか。記憶はもちろん持ち越してはいなくて、そしてまた、頭が鮮明な分、周りに馴染めず最初の幼い頃は苦労するでしょうけど、そこさえ乗り越えれば、あとは自由な期間を自由な意志で過ごせるわけですから、やっぱり羨ましい。それだけじゃないです。僕が高校生だった頃は、本作の序盤に出てくるような、要するに、ガリ勉の、女の子にモテない脇山みたいだったわけではないけど(でもまだその方がマシだったかもしれない。女の子にモテなかったのは同じですが。)、時田秀美のように、あれだけ、恋愛を含め、色んな経験が出来たなら、どれだけ豊かな青春を過ごせただろうな、とは思いましたね。時すでにお寿司。いやしかし、ネタは十分に寝かせた方が美味しいという説もある。俺はこれから、美味しい思いをするんだ。あはは。哀れみ。

最近、やれたかも委員会、なる漫画も読んでたんで、本作をなぞりながら、いっそう、過去のそういった経験を思い出しちゃって、なんていうのかな、まぁ、軽く悦に浸ると言いますか、センチメンタルにもなりましたね。といっても、絶対に、いや、そう言わずとも、相対的に考えても、自分ほどの人間であればもうちょっとは、甘い経験を積むことは出来てたはずなんで(いやー、たられば、天狗、傲慢)、これからは、そういう気持ちを上手く利用して、向上心だとか、自分を変えていく力にうまく繋げられたらなとね、思いました。うん。

にしても、完全に偶然なんですが、つい最近の作家の作品を読むにしても、やっぱり文豪となれば、その影がチラついて見えるんですね。太宰治のことなんですが。ほぼ全編にわたる、主人公目線の語り口であったり(まぁ、よくある形ではありますが)、実際に物語に出てくる話もありましたが、太宰の強い影響を感じましたね。パンドラの匣、正義と微笑を立て続けに読んでたからか、すぐに感じました。人間失格のあの鉄棒の件であったり、走れメロス、パンドラの匣に出てきた霍乱の話など。いや、まぁ、それだけなんですが。。。

最後に、気に入った一説を挙げて終わりとします。あ、正確ではないです。悪しからず。

こむずかしいことで頭を悩ませるのは、実際には、不幸が降りかかってない証拠のようなもの。

逆説を証明する。

他人が語れる存在にはならないという決意。

余計なお世話で白黒つけられる人たち。

時差ボケで死ぬ。(これに限っては完全にただのつぶやき程度のものになってますね(笑)。すまん片山。赦せ。)

以上です。

気になった方は読んでみては、

山田詠美の、ぼくは勉強ができない、でした。





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