127時間

 映画、127時間を観ました。主人公は、クロスバイクでグレートキャニオンのような丘陵部を走り抜けることが趣味の、若い男性。ある日、いつものように岩盤から岩盤へと飛び越えて移動している際に、あやまって足を踏み外してしまい、岩壁の間に一緒に落ちてきた岩もろとも右腕を挟まれてしまいます。右腕を引き抜こうとあらゆる手段(持っていたロープを岩にかけて、滑車を使い自重で岩を持ち上げようとしたり、サバイバルナイフで岩を削り隙間を作ろうとしたり)を試しますが、どれもうまくいかず。だんだんと血色を失っていく右腕。水も食料も数日もつかどうかしかありません。体力、気力ともに徐々に疲弊していくのですが、その間、様々な幻覚を見ます。ついさっき知り合い仲良くなり、行くと約束した、その場にいるはずだったパーティーのこと。冷えたビール、マウンテンデュー。仲間と過ごした楽しい日々。家族と過ごした幸せな日常。そして、主人公は決心するんですね。右腕を切り落とすしかないと、、、

 主人公は、右腕を岩に挟まれて身動きができない間、こういう回想もしていました。

これまでの全ての自分自身の行動が、今の事態を招いたんだ、そして、この岩や地球も例外なく、この事態を今か今かと待っていたんだ、と。

今朝の親からの電話にちゃんと応えて、行き先を告げていたら、、、勤め先の店長にはっきりと行き先を告げていたら、、、後悔先に立たずといった状況でしたね、、、

 僕が思うに、この話を一般的な話にまで広げて解釈すると、岩に挟まれた右腕は、ただ単に肉体的な右腕ではなく、何らかの象徴であると考えます。というのはつまり、

未来の幸福をつかむためには、現状ではどうしても犠牲にしなくてはいけない、もしくは、犠牲にしなくてはならなくなった大切な何か、としての象徴ということです。

ということは、僕たちもこの主人公のように、たった今この瞬間にも、気付かない間に、この象徴としての右腕が何かに挟まっていたり、挟まりかけているのかもしれないですよね。

 僕にとってはそれがこの休職期間のように感じられます。休み始めた当初は、やりたいことがそれなりにあって、本を読んだり、映画・アニメを観たり、体を動かしたりしていましたが、どうも最近はこのままではしょうがないなと感じ始めてきた。つまり、この休職期間をうまい具合に犠牲にして(利用して)、未来の幸せをつかみとりにいかなくてはならないんじゃないかと、この映画を観て、はっと気付かされたわけなんですね。

 それを実現するためには、できる限りのあらゆる手段を試さないといけませんし、最終的には、右腕を切り落とすくらいの、思い切った行動が必要になってくるかもしれません。じっくり考えて、時には大胆に行動に移し、様子を見ていきたいと思います、、、

終わり。


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