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感謝の気持ちは社会に返すーーコロナ禍で思い出した医師の言葉

私は今まで、医療機関のお世話になることが多い人生だった。救急車に乗ったのが3回、入院は5回、手術は3回。その都度、たくさんの医療関係者の方と出会ってきた。 

今日は恥ずかしながら告白を。

私は今まで何度も医師や看護師さん(男女とも)に「惚れた」ことがある。もちろん恋愛感情ではなく、人として。

お仕事ぶりに「惚れる」というのは、もちろん他の職業の方に対してもあることだ。ただ、医療関係者に「惚れた」場面は、たとえ短い時間でも心が震え、涙が出るくらい深いものだった。今回はお世話になってきた医療従事者への感謝の気持ちをこめて、私が「惚れた」エピソードを紹介したいと思う。 

患者の心に寄り添う優しさに「惚れた」

私は人生におけるトラブルやピンチに対して、めっぽう弱い。そのなかでも、最も弱ってしまうのが、病気や怪我をしているときだ。身体や心に痛みがあると、「何か悪い病気ではないだろうか」と不安に苛まれ、仕事や家事などが思うようにできずにイライラする。そんなとき、弱った心に寄り添ってくれる医療従事者に何度も救われてきた。

エピソード【看護師の卵と泣いた夜】

私は初めての出産のとき、持病のために帝王切開と婦人科の手術を同時に行った。14日間の入院中、私の担当として実習中の看護学生さんが付き添ってくれた。 

出産後、私は手術で受けた身体のダメージが回復しないまま、1~2時間おきの授乳の日々に突入した。心身ともに余裕のない状態で、なかなか思うように授乳ができない。横になればすぐに泣き声で起こされ、眠ることもままならない日々が続いた。赤ちゃんの体重もなかなか増えず、どんどん心が追い詰められていく。 

看護学生さんは、フラフラの私につきっきりで、背中をさすってくれたり、立ち上がれないときは車椅子を持ってきてくれたりと献身的にケアをしてくれた。しかし、ついに私の心はプツンと切れてしまった。深夜、授乳を終えたあと、そばに彼女がいることも気にせずワンワンと泣き崩れてしまったのだ。せっかく赤ちゃんを授かったのに、あまりにも身体が辛くて、「ここから逃げ出したい」と思った自分が悔しかった。今思えば軽い鬱状態だったのかもしれない。 

深夜の病室、病室の青白い明かりの中で、看護学生さんは私の背中をさすりながら一緒に泣いてくれた。「力になれなくてごめんなさい」と。新米ママと、看護師の卵。私と彼女は、立場は違うが同じような悔しさを共有していた。私は彼女の涙にとても救われ、その後、短い時間だったがぐっすりと眠った。彼女が実習を終えた日、私は「あなたはきっと良い看護師さんになるよ」と言ってお別れをした。 

高いプロ意識に「惚れた」

「惚れて」しまうのは優しさだけではない。私が最もしびれるのは、医療従事者の「プロ意識」の高さだ。命と向き合う厳しさや、「先生いつ休んでいるの?」と言いたくなる勤務時間の長さ、とにかく目の前の患者を救うという一生懸命さ。きっとそれらは、「医療」という特殊な仕事に携わる方々の持つプライドのようなものだろうが、それに触れて感動したという経験も多々ある。 

エピソード【手術が始まらない…イライラした自分を恥じた日】

私にとって人生3回目の手術となった腹腔鏡手術。全身麻酔による手術は初めてで、私は落ち着かないまま当日を迎えた。その日の手術は2件。個人病院だったので、同じスタッフで一日に2回の手術を行う。私は、2件目の手術で、スタートは午後2時の予定だった。 

お昼くらいから点滴が始まり、私は手術着一枚で、病室や廊下を落ち着き無くウロウロしていた。そろそろ呼ばれるかなと思っていると、看護師さんが入ってきて、「前の手術が延びているから、お茶を飲んでもいいですよ」と言われる。「何かトラブルでもあったのかな」と心配しながら時間を潰した。 

それから一時間ほどして、また看護師さんがきた。手術はさらに延び、スタートは3時半くらいになるとのこと。正直ここまで来たら早く終わってほしいのが本音だったが、仕方のないことなので、落ち着かないまま時間を過ごした。

結局、1件目の手術は大幅に延び、私の手術開始時間は17時過ぎとなることが分かった。落ち着かない状態での3時間待ちはさすがに堪えて、私は少しイライラした感じで呼ばれるのを待っていた。

そこへ、バタンとドアが開き、手術着のままの麻酔科医の先生が飛び込んできた。額は汗ばんで、頬は紅潮している。手術が終わったそのままの姿でここに来てくれたのだ。

「お待たせしてごめんなさい。前の手術が延びてスタッフが疲れていないか不安でしょう。大丈夫です。スタッフの皆で、『2件目の手術もしっかり集中していこう!』と気合を入れ直してきたとこなので安心してくださいね。」

おそらく1件目の手術は7時間を超えている。立ちっぱなしでさぞかし疲れていただろうに。それでも、待たせている私を気遣って飛んできてくれたのだ。私は、少しでもイライラしたことを恥じ、その優しさに涙した。この人達は、本当にプロだなと心底惚れて、安心して手術室に向かった。 

コロナに立ち向かう強さに「惚れた」

コロナ禍において、未曾有の感染症に立ち向かう医療従事者の方々の姿には、心から敬意を示さずにはいられない。医師や看護師といえども一人の人間。感染症対策はしていると言っても、常に感染の危険と隣合わせであることは間違いない。

エピソード【防護服を着て「ごめんね」と言った医師】

新型コロナの流行が始まった頃、私は大きな不安の中にいた。少し喉が痛いだけでも「もしかして」と気になり、熱を測って平熱を確認しては安心する。

そんな日々のなか、私は「ひどくならないけれど、治らない咳」に悩まされるようになった。熱はないし、喉も痛くない。でも軽い咳だけが続いている。厄介だなあと思いつつ、持病の喘息かなと思いながら、病院を受診しようかどうか迷っているうちに2週間ほどが過ぎた。喘息だとしても薬を貰いに行かなくてはならない。とりあえずかかりつけ医に電話をしてみた。 

症状を説明すると、診療時間の一番終わりに来てくださいとのことだった。指定された時間に着くと、すぐに待合室とは別の部屋に通された。感染の疑いがあるから当然だろう。外来の患者さんが全て帰ったあと、私の名前が呼ばれた。 

看護師さんがドアを開けると、防護服を着た先生が座っていた。私が初めて見る防護服に戸惑っていると、「なんだか感染者扱いでびっくりさせてごめんね」と先生が言った。いやいや、先生が謝らなくてもいいでしょう。それよりも、こんな危険を冒して私を診てくれる、そのことに私は感謝の気持ちしかなく、「とんでもありません、診ていただいてありがとうございます。」と恐縮した。 

結局、私の診断は咳喘息で、薬をもらってすぐに軽快したので問題はなかったが、日々感染の恐れに立ち向かっている先生の強さと優しさに、頭が下がる思いだった。

たくさんの感謝の気持ちをどう返していくか

紹介したエピソードはもちろんほんの一部だ。病気がちだった私の人生において、医療従事者の方々は無くてはならない存在であり、医療従事者は間違いなく私の最も尊敬する職業だ。そして、ふだんめったに病院のお世話になることはないという人でさえも、今回の新型コロナウイルスの感染拡大においては、医療従事者へ感謝の気持ちを強く意識したのではないだろうか。

 私はお世話になる度に、「ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えるようにしてきた。しかし、それだけでは全然足りないのではないかといつも感じていた。特に、コロナ禍においては、日々治療にあたっている方々に対して、どうやって感謝の気持を表せばいいのだろうか・・・。 

そう考えていたら、昔、私を手術してくださった個人病院の先生からもらった言葉を思い出した。その先生は、技術も心も本当に素晴らしい方だった。退院時に直接お礼を伝えに行ったとき、先生はおっしゃった。

「たいして大きくもないこの病院を選んでくださる方は、自分の病気や手術などについて、より良い方法は無いかと一生懸命調べ、必死に探してくる方ばかりです。退院されたあとは、どうかそういうエネルギーを、社会や子どもたちのために使ってください。」

私が今、医療ライターの仕事をしたいと思っているのは、その先生の言葉の影響があるのかもしれない。いただいた恩は直接返すだけでなく、別の形で社会に還元していけばいいのだ。

私にできることは、患者としての経験を生かし、平時、コロナ禍を問わず日々私達のために医療に従事してくれている人たちの情報を正しく伝えていくことだ。医療従事者の方々へのたくさんの感謝を胸に、医療と人々の距離を少しでも近づけていけるライターになれればと思っている。

■著者プロフィール 
西村 陽子(にしむら ようこ)
人材派遣会社営業、TV番組リサーチャー、子育て講座の講師(現職)を経て、2008年よりライターを始める。医療、美容、生活、子育てなどの分野で幅広く執筆している。アプリを開発する長男、AIを使いこなす次男に刺激を受け、ITの勉強中。【医療×IT】が患者、医療従事者にもたらすメリット(幸せ)を伝えられるようなライターを目指す。モットーは既存の価値観にとらわれず、柔軟であること。
日本化粧品検定1級、コスメコンシェルジュ、美肌食マイスター初級、薬膳漢方マイスター、認定子育てアドバイザー、実用日本語教育能力検定試験合格。
https://note.com/acacia49http://acacia.her.jp/

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