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3月15日(金)メディア日記

 自民党の裏金事件を巡る参院政治倫理審査会が14日開かれ、安倍派5人衆の世耕弘成前参院幹事長、橋本聖子元五輪相、西田昌司の3人が出席した。とくに焦点の世耕は、キックバック超過分については「知らない、わからない」と全面否定を繰り返した。へらへら喋りまくるこの男はまさに「厚顔無恥・鉄面皮」の形容にぴったり。鳴り物入りの衆参政倫審は何も解明できないまま終わった。立憲民主党から証人喚問を主張する声もあるが、仮に開催したとしても「知らない、記憶にない、わからない」を連発すれば政倫審と変わりない。
 15日は各紙朝刊に社説を載せた。「疑問はますます深まった」(毎日)、「この政倫審では裏金の実態解明はほど遠い」(日経)、「政倫審の限界は明らか」(朝日)「また『知らぬ』連呼なのか」(産経)など政倫審質疑を批判している。「読売」だけは「会計責任者に聞いてはどうか」と安倍派、二階派、岸田派の責任者を参考人として国会に呼んだらどうかと書いた。安倍派の会計責任者は世耕弘成が連れてきた前任NTT出身と言われる。安倍派の面々は会計責任者だけは絶対外にだしたくないはずだ。

 サンデー毎日(3月24日号)は、「1992年、福岡県飯塚市で起きた女児強姦殺人事件で、犯人とされた久間三千年はすでに死刑を執行されたが、証拠の決め手となったDNA鑑定には数々の疑念が生じており、冤罪の疑いが強い」とジャーナリストの青木理が4ページにわたって報じた。
 青木理によると、事件は1992年2月、市内の小学生女児2人が登校途中に行方不明になり、翌日になって約18キロ離れた旧甘木市(現・朝倉市)の山中で遺棄されていた。福岡県警は2女児が姿を消した現場近くに住む当時54歳の無職、久間三千年を逮捕、しかし、久間は一貫して容疑を否認し続けた。警察は2女児の遺体に残されていた体液と久間の毛髪を突き合わせたところ、DNAが「ほぼ一致する」との結果が示され、最終的に福岡県警は94年9月に久間を逮捕、99年9月に福岡地裁は死刑判決を言い渡した。立証の柱はDNAだったが、その後、科警研が実施したDNA鑑定は信用性に疑義が突き付けられ、さらに久間の死刑が執行された直後、東大や帝京大の法医学教室に鑑定を依頼したところ、「女児に残った体液から久間のDNAは不検出」と一蹴されてしまう。
 こうしたとき、同時期に起きた類似犯罪である「足利事件」も科警研のDNA鑑定が崩れ、服役していた男性の冤罪が確定的となり、千葉刑務所から釈放された。足利事件の再審過程でDNA型の再鑑定実施を東京高裁が決めたのは08年12月、久間はそのわずか2カ月前に処刑されていた。足利事件の科警研鑑定がまもなく覆されてしまうこととなると、当然のこととして「飯塚事件」の鑑定にも重大な疑念の眼が注がれる。青木理は、「この経過を法務・検察は知っていたのではないか。取り返しのつかない過ち」と推理している。青木はこのほか、この飯塚事件について、西日本新聞を中心にDNA鑑定の疑義が分かるにつれて、メデイアが痛切な自省をもとに報道した経過も書いている。
 なお、久間の死刑執行後の09年に妻が再審請求したが、14年に福岡地裁は棄却。最高裁も21年4月に妻による特別抗告を棄却した。妻は21年7月に第2次再審請求した。再審を認めるかどうかの決定は4月以降の見通しという。

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