1月14日(日)メディア日記

 岸田首相は14日、初めて能登の被災地の輪島と珠洲市を視察した。早朝7時38分、首相官邸屋上から自衛隊のヘリで入間基地に向かい、ここで空自輸送機に乗り替えて小松空自基地に着き、再び陸自ヘリに乗り替えて輪島市の空自輪島分屯基地着。その後、輪島の避難所など30分間視察、再び陸自ヘリで珠洲市に向かい、ここでも約20分間、避難所を視察、陸自ヘリで午後1時17分、金沢市の陸自陸自金沢駐屯地着。石川県庁で馳浩知事らの要望書受けとった。帰路も同じルートで首相官邸屋上には午後5時31分に着いた。まったく駆け足視察。石川県知事の馳浩も被災地で岸田首相と合流したが、地震発生後、知事として初めて被災地に入ったのも驚き。

 中国の秦剛外相と李尚福国防相が昨年6月から突然姿を消し、世界中から注目された事件について、メディアの外信出身の記者OBが大胆な推理を送ってきた。真偽のほどはわからないが、非常にミステリアスな事件なので要約してあえて記事を転用する。
「秦剛と李尚福の2人は正式に解任が発表されたものの、その詳細も生死も、いまだに不明。しかし昨年暮れ、この事件はロシアが仕掛けたスパイ戦だったという見方が強まり、年が明けてから改めて関心を呼んでいる。秦剛は、2021年7月に駐米大使に就任したわずか1年半後に外相に抜擢されたた人物で、習近平の信頼が厚いが故のスピード出世だと見られていた。彼が公式の席に姿を見せたのは、昨年6月25日にロシアのルデンコ外務次官らと北京で会ったのが最後。ところが米国の政治専門情報機関「ポリティコ」が12月6日に、このルデンコの使命は、秦剛が親米派で李尚福と組んで中国のロケット軍の機密情報を米国に漏洩させた米国のスパイであることを習近平に知らせることだった.ポリティコは、秦剛がすでに自殺か拷問によって軍病院で死亡しているとも伝えている。
 香港系の反共ユーチューブ・チャンネル「ニュース最前線香港」が数日前、ポリティコや、やはり香港系のアジア情報メデイアで今は米国に本拠を置く「アジア・センティネル」などの報道を基に伝えた。この小説より面白いスパイ事件のあらすじは、以下のようなもの。
 中国には歴史的にロシア(ソ連)派と米国派があり、秦剛の後、外相兼務に戻った王毅は、典型的なロシア派。ロシアの威を借りて「戦狼外交」をやりすぎた王毅に危機感を抱いた習近平は、対米関係を修復するために、信頼していた秦剛を使おうとした。外相に就任した秦剛は、ウクライナに特使を送ったり、米中首脳会談のお膳立てをして、習の命令を着々と推し進めた。これを不快に思ったプーチンは、秦剛を失脚させろとFSBとロシア外務省に命令した。プーチンから秦剛外相と李尚福国防相がスパイだと告げられた習は、とりあえず2人を公式業務から外し、様子を見ていた。一方のロシアはちょうど材料をつかんでいた中国のロケット軍の機密漏洩事件に秦剛が協力したというストーリーを拡散させて2人を追い出そうとしたが、なかなかうまくいかなかった。そこでFSBが考えたのが、ハニートラップ。白羽の矢がたったのが、中国・フェニックス・テレビの米国支局に勤務する当局のスパイである傅暁天という美人記者だった。英国大使館勤務時代に秦剛と顔見知りであった彼女は命令に従って秦剛に接近、秦剛の誕生日直前の昨年7月に、別の男性との間に生まれた子供の写真に、秦剛が父親であることを強く示唆するコメントを添えてSNSに投稿した。彼女はこの後、秦剛とほぼ同じ時期に姿を消した。政府系メディアはこぞって、このでっちあげのストーリーを使って、秦剛の消息不明の原因が美人記者との不倫であったかのようなフェイクニュースを流した。
 自らのチョイスで2人を外相と国防相に登用した習にして見れば、承服しがたいプーチンからの横槍だっただろうし、抵抗もしたようだが、ロシアと事を構えることもできず、2人を見殺しにせざるを得なかったとみられる。2人が姿を消してから半年間、外相と国防相のポストが空席だったことが、習の抵抗と苦悩を示しているのだろう。すでに70人以上が逮捕され、上層部がほぼ総入れ替えになったといわれる国防省、ロケット軍の機密漏洩事件に対する習の異常ともいえる捜査への執念は、こうした背景があるのかも」。

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