5月2日(火)メディア日記

 東京新聞は3月29日付の論説に「安保法施行7年『茶色の朝』迎えぬために」と書いた。実は筆者はこの論説をまったく知らなかった。前号の日記を読んだ友人から2日に感想をもらった中に「茶色の朝」が引用されており、初めてこの論説を知った。友人の感想を再録する。

 「最近の編集は左がかっているのではない」という批判は、危険なものですね。「左」というだけで批判するのは、自分が右であり、それが政党だという考えの持ち主ですね。こうした考えがはびこるのは危ういですね。東京新聞の論説(3月29日付)に『「茶色の朝」を迎えぬために』という論調が掲載されたのを思い出します。フランスで5年前に出版された「茶色の朝」という寓話ですが、ある国で茶色党が政権を握ると、茶色以外の犬を飼うことが禁止する特措法が制定され、主人公は黒色の犬を安楽死させます。ほどなく、特措法を批判した新聞が廃刊になり、同法に批判的な本も消えていきます。さらにある日、茶色以外の犬猫を飼っていたことも犯罪となり、友人が連行されます。そして主人公にもある朝、ドアをノックする音が響くというものです。

 この寓話からくみ取るべき教訓は、危うい兆候がるにもかかわらず、事なかれ主義で声をあげずにいると、自由な言論は封殺され、全体主義の台頭を許すことなることだと、同論説は指摘しています。「左がかっている」という批判もどこか「茶色の朝」と通じるものがあります。こうした批判を放置しておけば、左とされるだけで表現の自由を奪われ、最後には圧殺されていくことになりそうです。戦前の「非国民」と同じです。今では「反日」も同じです。反日というだけで、批判され、表現の自由を奪われています。声をあげていかないと「茶色の朝」を迎える恐れがあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?