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【感想・写真あり】いちかわ市民ミュージカル「NEXT!~市川黄金伝説~」観に行ってきました

いちかわ市民ミュージカルのあらすじ、先日のミュージカル稽古の様子はコチラ
【祝10回記念公演‼】稽古潜入取材!!市川のミュージカル⁉~いちかわ市民ミュージカルの稽古場に潜入してみた~|Yellow!|note

こんにちはこあらです!

2022年9月24日(土)市川市文化会館にて、いちかわ市民ミュージカルの本番公演が行われました。
台風が近づいていたのですが、当日の公演には二つの公演合わせてなんと1600人ほどの方が、観劇にいらしたそうです。

なお、今回本番公演とゲネプロに行かせて頂いたのですが、本番公演はBプロ、ゲネプロではAプロと観劇させていただきました。そのため、写真がゲネプロ時のAプロのものとなるのですが、ご了承ください。

感想

今回の市川市民ミュージカルでは戦争が終わってからの市川市内で起きた6つの伝説を取り扱っています。

①    「ただ乗せストライキ」伝説
②    「市川交響楽団」伝説
③    「市川市民元旦マラソン」伝説
④    「夜間中学校物語」伝説
⑤    「よみがえれ新浜」伝説
⑥    「行徳神輿復活」伝説

「ただ乗せストライキ」伝説

 私も乗っている京成電鉄。学校に行くために利用していて主に東京と千葉をつなぐ役割をしています。今では成田空港までの線として全国から利用している人も多いですよね。そんな京成電鉄ですが、昭和20年12月10日に京成電鉄の乗客に対し、乗車料金を無料にするただ乗せストライキをします。敗戦直後の混乱した時代に運転手や車掌は少ない料金で働かせられる状況。そんな中で食料の買い出しに走る市民には喝采を受けます。そうして京成電鉄は突入後20日で労働組合の勝利に終わったのです。
 私はストライキとは仕事を放棄するということを考えていたのですが、京成電鉄を利用する人も困らないストライキのやり方は勇気や実行力に感動させられました。

京成電鉄のストライキを訴える労働組合員。
食べ物の買い出しのために電車を使う人にとっては大喜び

「市川交響楽団」伝説

 現在100名を超える団員で活動を行っている市川交響楽団。本交響楽団だけではなく市川混声合唱団、行徳混声合唱団、市川交響吹奏楽団、市響ジュニアオーケストラ等の多くの楽団が派生されています。 この市川交響楽団は戦後間もなく戦争で壊された美しい音楽や美術をもう一度生み出すことで、飢えと不安に苦しむ人々の心を慰めて差しあげよう!」と「市川文化会」を結成した人達がいました。市川市内の小中学校の音楽教師、村上正治さんです。最初は数人だった、市川交響楽団も、音楽活動を続けるうちに、大きな感動と共感を得て、千葉県初のアマチュアオーケストラとなります。
音楽って不思議な力がありますよね。私も音楽をやっているのですが、明るい気分になったり、落ち込んでいる時に寄り添ってくれたりする音楽が私も大好きです。
劇中で「SING,SING,SING」やグリーグの「朝」やベートーヴェンの「交響曲第9番」など有名な曲が生演奏で聞くことが出来たのでワクワクしました。ソロの方の歌が素敵でした。

戦争で親を亡くし、食べ物の盗みを働いてしまう子供たち
戦争が終わった後の飢えと不安には音楽が必要と考える村上さん


大勢で歌われるベートーヴェン作の交響曲第9番 歓喜の歌

「市川市民元旦マラソン」伝説

 昭和23年元旦の朝、国府台中学校に通う一人の少年が敗戦を迎え、自分の成長のために走ります。その少年の走りが仲間を呼び、陸上競技部の「校内耐寒マラソン」に発展します。それから昭和26年の元旦には多くの市民が集まり「市川市民元旦マラソン第1回」として開催されます。現在では市川市・市川スポーツ協会主催の行事として続いてします。
今では健康増進、走る喜びなど市民にとっての大切なイベントとなっています。
 一人の市民からたくさんの人を巻き込んでみんなで走ることがイベントとなるのはすごいことだなあと感動しました。この少年は走ることで特にみんなを巻き込もうとしていた訳ではないのですが、走り続けることで周りも影響を受けて一緒に走ることが素敵だなと考えました。私は走ることは得意ではないのですが、「ウォーキング4㎞コース」もあるみたいなので気になった方は参加してみてはいかがでしょうか。

最初は1人で走っていた男子高校生
いつの間にか、1人、2人、3人…と仲間が増えていき…
元旦に多くの市民が集まり「市川市民元旦マラソン」が開催される。

「夜間中学物語」伝説

 学校へ通えなかった子、漢字が書けない、読めないなどのさまざまな事情がありますが、今からでも通える学校はないのかと市民は立ち上がります。他の県には夜間中学校というものが既に開校されていましたが、千葉県にはありませんでした。しかし、行政は何も動いてはくれない。だったら私たち市民が学校を作ろうじゃないかと立ち上がり、退職教員などのボランティアを集め、自分達で夜間中学校を立ち上げたのです。
 勉強はしたいけど出来ない人もいるという事は私も良く言われていたのですが、当時の私は勉強することがとても嫌いで、今になって「あの頃もっと勉強していればな」と考えることもあります。でも大人からでもやる気になりさえすれば大丈夫という言葉を聞いて私も今から本気で勉強をがんばってみようかなと思いました。授業料を無料にしてしまうのは教わる側にとってはうれしいことだと思いますが、教える側にとっては大変です。本気で学びたいと考える人がいるからこそ本気で教えたいと思ったのですね。

彼女から婚姻届にサインを求められるも、字が読めないからと結婚を断ってしまう。
他にもさまざまな事情で文字が読めない、書けない人、計算ができない人がたくさんいた。
当時子どもの人口が増加し、学校をつくってもつくっても追いつかなかった。
そのため、今ある学校の教室を夜間中学校として使用し、千葉県内初の夜間学級開講となった。

「よみがえれ、新浜」伝説

 海に面した行徳の地には干潟が存在していました。(干潟とは河口付近の堆積した小さな砂や泥がたまる、潮が引くことによってできる遠浅の浜のことです。)干潟には川や海の水の中の栄養分が沢山集まるため、小さな生き物がたくさん住んでいます。その生き物たちを狙ってたくさんの種類の野鳥も行徳に存在してします。干潟を埋め立てお金に換えようと考える人達はたくさんいました。しかし、ここで鳥さん大好きな3人の女子高生が立ち上がります。それが発端となり、「新浜を守る会」が結成されます。地元や行政の人たちからは反感を買いましたが、大規模開発に歯止めがかけられます。行徳には野鳥観察舎が建てられ、市民の憩いの場となります。
 当時高校生だった方は鳥が大好きであるという一心でここまで行動を起こせることがすごいなと思いました。年齢や性別、権力なんてモノはなくても、自分がこうしたいという強い思いさえあれば行動できるし、同じ気持ちの仲間も自然に集まってくるんでしょうか。私ももっと自分の気持ちに素直になろうと考えた物語でした。

行徳の海岸はさまざまな種類の野鳥の楽園だった。
しかし、干潟が埋め立てられ、野鳥がいなくなってしまうことを危惧した
鳥さん大好き女子高生は埋め立て反対を訴えた。
女子高生達が発端となって署名を集め、新浜を守る会が結成した。
野鳥の種類と数を記入してどのくらいの野鳥が行徳に生息するか記録する人々
行徳の干潟の一部は残され、野鳥観察舎が建設されることに

「行徳神輿復活」伝説

 またまた、行徳のお話です。行徳は神輿が有名な地であり、全国の神輿の4割が「後藤、浅子、中台」の御三家をする行徳で製造され、昭和の初めに最盛期を迎えます。浅子神輿店の最初に神輿の制作を始めたのは、明治10年、東京都荒川区の素戔嗚(すさのお)神社の本社神輿でした。その神輿の修繕を終えると、神社に納める際に完成した神輿を船で納める神事を行います。その神事を船渡御(ふなとぎょ)と言います。昭和63年に110年ぶりに再現されました。
 私は行徳が神輿の街をいうことを知りませんでした。その神輿を110年ぶりなので前回が明治時代に行われたということになりますね!市民行事として取り組もうと提案された時、田中愛子さんという方が船渡御を再び復興するために立ち上がるのですが、企画書を持って行っても、相手にされなかったけど、田中さんが行徳企画村村長と名乗りだしてからは、良い方向に代わっていきました。大変なこともあっただろうけど、廃れてしまった行徳神輿が再復興することが出来ました。

こちらが船渡御である。
本番では「行徳っこ子ども神輿・本塩囃子保存会」の方が実際に神輿を担いでみせてくれました。

いちかわ市民ミュージカル伝説!?

 市川市民ミュージカルのストーリーの間にいちかわ市民ミュージカルの稽古場エピソードという舞台の物語が存在します。本当は6つのエピソードの中には入っていませんでした。このミュージカルもいちかわ市民がやりたいと立ち上がり、人々を巻き込んで行動したからこそ、2002年から現在まで10回もの公演を行うことが出来ているのかも知れませんね!自分から行動して挑戦することの大事さを改めて実感しました。

最後に

 歌やダンス、演技のクオリティは迫力があり、市民ミュージカルとは思えないくらい、とても高いものとなっていました。この記事を読んでいる方はぜひとも、次回公演を観にいただきたいです!!大きな舞台に立てるという貴重な経験は他ではなかなかできないのではないでしょうか。興味がある方は実際に参加してみるのも良いと思います!

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