人間は自分の意思で進化する ー 1. イントロダクション

人生という、この上なく貴重な機会

いにしえの頃からインドで受け継がれているヴェーダの文化では、
「人間として生まれてくることは、この上なく貴重な機会だ」
と教えられています。
なぜなら人間は、自由意志という類まれな能力を持って、自分の意思でさらなる進化を遂げることができるからです。

牛は生まれて来て、毎日食べ物にありつき、死に至る病や事故をかいくぐり、次の世代に自分の種を残せるほどに成長できたら、もうそれだけで、牛として完全な一個体です。この牛が牛らしくあるために、これ以上望まれるものはありません。

一方人間は、身体が大人になっていても、それだけでは人間として完全に成長したとは言えません。
30歳になっても、50歳になっても、孫のいる歳になっても、不機嫌になったら幼子のようにわめき出し、周りの人に自分のご機嫌を取るように要求する、心が幼稚なまま成長を遂げていない大人は大勢います。
歳を取ったら、身体は自然に成長して老いて行きますが、人間の心は、歳を取っただけでは成長しないのです。

このことから人間は、動物として身体的に成長しきっても、人間としての心の成長の伸びしろを持っている生き物だと言えます。
そして、この伸びしろを伸ばすか・伸ばさないかは、自然の選択ではなく、周りの人間でもなく、自分自身の自由意志に委ねられています。

自然の生き物としての進化は、自然の手の内にありますが、人間としての進化は、自由意志を持った人間本人の手の内にあるのです。

この意味において、人間として生まれ、生きていることは、この上なく貴重な機会なのです。

心が成長することのメリット

人間としての進化とはつまり、心の成長です。
心の成長といっても、宝くじの当選番号が分かるようになったり、人を思いのままに動かせるようになるというものではありません。
心の成長とは、宝くじに当選しようがしまいが、そして、周りの人がどのように振る舞おうが、どのような状況にあっても、自分が自分に幸せであれることです。

心の成長がないことのデメリット

逆に、心が成長していなければ、周りの人々のすることや言うことに振り回され、アップダウンを繰り返す人生を生きることになります。それが人類の大多数の人生です。自分の幸せが、自分の置かれている状況に、完全に依存しているのです。
状況というものは常に変化するものですから、たまに運良く自分の好みに合う状況に恵まれてハッピーになれたとしても、またすぐに気に入らない状況に陥ってしまうことは必須です。
そして「思い通りに行かない」と言って不機嫌になり、悲しくなり、惨めになります。

主観を減らし、客観を増やす

「自分が自分に幸せである」とは、主観による自分の世界を築いて現実から逃避することではありません。
実のところ、「世の中、思い通りに行かない」と言って嘆いていることこそが、自分の勝手な主観に振り回され、現実の世界を客観的に受け入れられていない証拠なのです。
自分が生きている世界を、あるがままに認識することが出来たら、自分の幸せは、状況に振り回されてアップダウンするものではなく、安定して確かなものになります。

先にヴェーダという知識について触れましたが、ヴェーダとは信じるためのものではなく、この世界の事実をただ客観的に認識するための知識です。自分の生きているこの世界についての事実を、主観に歪まされず正しく認識できたら、惨めに悲しむ理由など無いからです。
この世界と、その中に生きる自分について、主観に振り回されずに正しく認識できる心のあり方が、人間として成長した人の心のあり方です。ヴェーダはその心のあり方を育てる人生の生き方を教えています。
本書ではその生き方を、現代に生きる人にも分かりやすく紹介していきます。

ヴェーダを通して見えて来る世界観・人生観を知れば知るほど、「今までこれを知らずによく正気で生きて来れたな。こんなことに無知なままに生きていたら、そりゃ不幸になるはずだ。」と思うようになるでしょう。

それではまず、自分が生きているこの世界と自分との関係を分析して、客観的に捉えてみましょう。

(次の項へ続く...)

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