おすすめの物書き、米原万里さんについて
「支配層物書きとは、一体誰のような人物を指すのか」
今から遡るほど約1月前、TLでこうした話題が流れてきた。皆思い思いの作家や随筆家を挙げており、まだ未読の作品や作者が紹介されていたこともあって、読者好きの私は大変楽しませていただいた。その際、こっそりちゃっかり私もこの議題に参加して、米原万里さん(1950〜2006)を推挙した。彼女の骨太でありながら読者を置き去りにしない文体に、自分はかれこれ10年弱虜になっている。
さて支配層物書きについての議論が一通り集結した後、自分の元にあるFFの方が米原さんの『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読了した旨と、その感想を送ってくださった。曰く当該作品を気に入ってくれたらしく、大変恐縮ながらただ彼女について紹介しただけの私に対してまで連絡をくれたのだそうだ。高校や大学時代、彼女やその作品について知っている友人が周りにいなかった自分にとっては、純粋に嬉しかった。
このDMを頂いた自分は、しばらく経ってこう考えるようになった。
「もしかしたら米原万里さんの作品って紹介さえすれば多くの方に気に入って頂けるのでは?」
明記しておくが、何も自分の影響力や文章力を過大評価しているわけではない。
X(旧Twitter)のフォロワーは200人台の超が付く弱小アカウント、ノートに至っては最近ようやく始めたばかりだし、別に仕事で創作や記事作成に携わっているというわけでもない。
それでも自分のFFは、上述したような議論が起こるくらいには多くの方が読書好きである。それならば、多少自信過剰になって、米原さんのことを猛烈にアピールするノートを書いたってバチは当たらないだろう。そう思ったのである。
というわけで、今回のノートは米原万里さんと彼女の作品を少しでも多くの方に知ってもらいたいという、非常に独善的な願望によって作成されたものである。
それでは早速。
1.その生い立ち
米原万里さんを語る上で欠かせないのは、彼女の生まれた年代と父親の職業、そしてこの当時は珍しかった幼少期における海外での生活についてである。
米原さんは1950年、井上昶前衆議院議員の長女として生を受けた。この井上昶前議員、当時の日本共産党の幹部格に当たる人物であり、後に国際的な共産党情報誌『平和と社会主義の諸問題』の編集委員に選ばれたことが娘である万里さん、妹のユリさん(余談であるが、彼女は後に作家である井上ひさしと結婚することとなる)の運命を大きく変えていくことになる。
米原家は、当時『平和と社会主義の諸問題』を編纂事業を行っていたチェコスロバキアの首都プラハへと向かった。が、この時期はまだ共産党系への監視が今よりも厳しかった時代。この時もどうやら一筋縄では行かなかったようで、昶氏は別の事業で渡航するといって出国をしたのだとか。
プラハでは現地で使われていたチェコ語ではなく、共産党員の子女が通うソビエト学校に入学(日本でいうところのインターナショナルスクールを想像していただいて構わないはずだ)し、ロシア語を学んだ。どうやら、ロシア語であれば帰国した後も続けられるからという両親の考えによるものだったとか。
小学校3年生でプラハへ渡った彼女は、中学2年生で日本へと帰国。その後も東京外国語大学や東京大学でロシア語能力を高め、日露同時通訳として活躍した。ちょうど彼女が通訳をしていた時期はソビエト連邦崩壊と重なっており、彼女が後に綴ることになるエッセイにはゴルバチョフやエリツィンといった歴史的な人物が数多く登場しており、これもまた彼女の高いロシア語能力や通訳力を表していると言える。また彼女は通訳業の傍ら、独特のユーモアと海外での経験、そしてそのずば抜けた文才によって数々の名作を世に送り出すことになっていった。
惜しむらくは、彼女が今の時代においては早世とも言える若さで亡くなってしまったことだろう。ただロシア文学の大家ミハイル・ブルガーコフも言っていた通り、『原稿は燃えない』。我々は彼女亡き今でもその生きた証である作品といつでも出会うことが可能なのである。
2.おすすめの作品紹介
上述したように、彼女は当時の日本では、というより現代の日本においても、彼女と似た経歴を持つ物書きというのはそういないだろう。これこそ私が彼女を支配層物書きなるものの1人して推薦する理由である。いわばオンリーワンの存在なのだ。実際は上の経歴の中に、共産党に入党してその後除党されるというこれまたウルトラC体験があったりするのだが、ここでは深掘りせずに進めていく。本項では、僭越ながらそんな彼女のおすすめ作品を2点ほど紹介させていただく。
①『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
「米原万里作品といえば何か」と問われたら、おそらく大多数の愛好家がこの作品を挙げるだろうというのが本作。事実、筆者自身もこの作品から米原さんのファンになった。
本作品は先ほども紹介した、彼女がプラハのソビエト学校で学んでいた時代の実話を描いている。主人公は米原さん本人、そして特別に仲の良かったギリシャ人のリッツァ、題名にもなっているルーマニア人のアーニャ、そして旧ユーゴスラビア出身のヤースナ。彼女たちは皆故郷から離れて暮らしているが、どうしても当時の複雑な自国の社会情勢から逃れることはできない。その冷酷とも事実が端的に、しかしキャッチーかつ的確な文章で終始綴られている。
米原さん自身がそうであったように、ギリシャ人のリッツァ以外は他国の共産党の大幹部の娘であった。深く踏み込むと全てが本書のネタバレになってしまうが、少し時代が進んだ先のルーマニアと旧ユーゴスラビアで何が起こったかと言うのは、皆さんもご存知であろう。当時既に通訳として活躍していた米原さんはふと彼女たちはどうしているのかと思い立ち、数十年ぶりに旧友を訪ねて東欧を回った体験記なのである。
完全に個人的な話になってしまうのだが、自分は東欧の文化(踊りや小説など)や文化に興味があり、そのきっかけとなったのが本書である。高校生時代になんとなく手に取った本によって大学の学部を選ぶことになるなんて当時の自分は考えもしていなかったが、とにかく『嘘つきアーニャ』は自分にとって、運命の1冊なのである。是非皆さんにも読んでいただきたい。
②『ロシアは今日も荒れ模様』『不実な美女な貞淑な醜女か』
学生時代の話がテーマの前作と打って変わり、今回は2作とも通訳時代に体験した数々が収録されている。
この2作品は、『嘘つきアーニャ』に比べて1つの話が短い。そのため、「読んでみたいけど長い作品だと没頭できない時辛いかも」と感じる方は、この2つのエッセイ集どちらかを足がかりにするのも良いのではないかと考えられる。
旧共産主義圏で培われた彼女の感性は、悪い意味ではなく純粋な意味で、現代を生きる私たちをハッとさせることもしばしばだ。日本人は読書量が多く電車の中でも本を読むが、そのように知識をつけすぎる行為は、家畜に餌を与えすぎて不健康に太らせていくのと同じではないかという話を読んだ際、自分は頭を抱えてしまった。(もっとも、この話自体は確かまた別の作品『真昼の星』というエッセイ集に収録されていたような気がする)
特にエリツィンやゴルバチョフが出てくる話になると、読者としてはそのネームバリューに思わず身構えてしまうのだが、彼女の文を読んでいるとなんだか「この人たちも、普通の人間なんだなあ」と思えてしまうし、なんとなく日本人は馴染みのない旧ソ連圏や旧共産主義国の事情を彼女の目線で追体験することができる。もちろん彼女の主観が入っているため歴史書並みの正確性がある!とは言えないが、こちらもなんとなく取っ掛かりづらい印象のある東欧を身近に感じることのできる作品である。
それにしても貞淑な醜女って。今なら1発アウトの表現なような気もするが、ロシアではこういう物言いが結構見受けられるので、彼女ならと今でもギリギリOKを貰えていたようにも思えるのも、彼女の特異性故だろう。
3.終わりに
激動の時代の東欧を生き、ロシア語通訳として歴史の数々に立ち会ってきた彼女を今語る上で、どうしても触れなければいけない問題がある。2022年から続くロシアのウクライナ侵攻だ。
自分は、いや自分も含めて米原万里さんを知る人間全員がこう思っているだろう。「今彼女が生きていたら、どのように語っていたのか」と。歴史にIFは禁物であるとよく言われる。しかしやっぱり考えてしまうのだ。彼女はかつて交流を持った土地の人間たちが、過去の学友たちと同じように自らの望まざる運命に故郷の国によって引き摺り込まれてしまった現状をどのように描写し、また語ったのか。過去と現在をいかに結びつけて論じたのか。一度考え始めると、少し寂しい気持ちになる。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。米原万里さんの作品、少しでも興味を持ってくれた方は是非お読みくださいませ!
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