豚と骸骨

私は9歳の頃、14キロ痩せた。








クラスでぽっちゃりしていた女子だった。







子豚みたいだったから体型のことでからかわれたこともいっぱいあった。






その度に辛かったのが本音。







…と言っても食べたいものを好きなだけ食べたかったし、子供ながらにグルメだったので、そんな急に痩せられるほどの決心はなかった。







しかし、小学校3年生に上がった頃のことである。









実は、2年生の夏に父が病気で亡くなった。










悲しんでいる母のために子供がしっかりしていなければならないという気持ちもあり、私は今までどおりの子供らしい生活を送っていたと思う。










家も少し落ち着いてきていた。








珍しくこの年は夏バテをしてしまった。









炎天下の中、運動会の練習をすると暑さで汗をびっしょりかいて、水分を体が要求して、逆にごはんなどの固形物が食べられなくなった。








この夏で、まわりの人たちからも


「痩せたんじゃない?」

と言われるぐらいの変化があった。








これがきっかけで私はまた太ることが恐怖になってしまった。








つまり、食べ物が恐くなったのだ。







痩せることができたのだから、がんばればまだまだ痩せられるだろう!




…と目標が痩せることを目指してしまった。








給食は痩せてる子の食べ方を真似して食べた。










お菓子は絶対食べない。











お腹がすいても決めた量しか絶対に食べない。











冬にはやつれてげっそりしていることをまわりの人から心配されるほどになっていた。










しかし、本人の私は自覚がなく、まだまだ痩せたい気持ちでいっぱいだった。









お菓子が食べたくなる日もあった。












でも断固として食べなかった。












給食もおおかた残していた。









恐い。











太ることが恐い。










食べ物が恐い。









水分もあまり取らなかった。











私の夢はただひたすら痩せることだけだった。















減っていく体重に快感を覚えるほど私の感覚は麻痺してしまっていた。














さすがに母からも怒られた。







着ていた服はぶかぶかになる。













髪の毛は抜ける。






私の体重は、身長が148センチあったにもかかわらず、27キロにまでなっていた。










自分では気付かなかったが、知らぬ間に私は精神不安定になっていたようだ。








心配した母は、小児科の心療内科に通わせてくれた。









その先生は私を責めることは一切なく、好きな人と嫌いな人の絵を書いてと言った。















好きな人は人じゃないけど愛犬Nちゃんの絵を描いた。





嫌いな人には父方の祖母の絵を描いた。










病院へ通っている間、心の支えだったのはディズニーの歌とジュディマリの歌だった。














夢のような世界が心の中に眠っていて、それを揺さぶってくれるような感覚だった。















恐怖に怯えながら頭はぼーっとしている私を包み込んでくれていたように思う。










そんな中、私の10歳の誕生日パーティーを開いたとき、クラスの子たちがたくさん来てくれた。










この日はケーキもお菓子も食べようと思っていた。












友達たちは気にせずたくさん食べてくれた。










細い子も好きなようにたくさん食べてくれていた。










私はその時に覚醒した。












食べる=太るわけではない



…ということを。








そして、誰かと一緒に食べることはおいしいし幸せなことだと思った。







友達とお話すると元気が出て前向きな気持ちになった。






それからの私は太ることも食べることも恐くなくなった。









心療内科も卒業できた。











おいしいものを食べ、自分らしく生きることの幸せを感じられるようになった。










拒食症は死に至ることもあると大人になってから知った。












生きている今、そして食べることが大好きな私を愛しく思う。







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