ひろみん社長のひとりごと「自己犠牲ってやつ」
自己犠牲が美徳みたいな時代もかつてはあったとは思う。それは社会に何もかも足りていなかったとき。
今は足りていないというよりいろんなものが余ってる。あるところにはあって、ないところにはない。
だから自己犠牲よりもいい方法が必ずある。余ってるところを探すとか。他にはなんだろ?
自分を犠牲にして頑張ると
→人にも犠牲を強いる、又はムカつく!
→奪い合い
自分がしたいようにすると
→人がしたいようにしてもOK!又は応援したくなる。
→与え合い
自己犠牲は、それが自動運転になっていて気づいていないことも多いし、考えることを怠けてるという場合もあるはず。
主体的に犠牲になるのなら、人が自分勝手にやっていたとしてもイラっともしないだろう。
まずは気づくところから。
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