発作性運動誘発性舞踏アテトーゼ(PKC)という病気のこと

緊張時、平日の夕方、
決まって手が震え出します。
平日の夕方に関しては、
低血糖だろうなと思っていますが、
定時までに終わらせられなかった焦りからくる
緊張もあるのかもしれません。

手の震えは、題名の病気とは無関係です。

ただ、震えという自分の意思とは
無関係な事象が起こると、
たまに病気のことを思い出します。
そして、実は病気のせいで経験した
色んなことが
手の震えと関係がなくもないかも
と今日気がついたわけです。

そして、noteに書こうと思いました。
そろそろ、頭の中を整理をする
タイミングなのかも。

病気の診断をされたのは高校生の時ですが
症状は中学生の時からです。

発作性運動誘発性舞踏アテトーゼとは
簡単に説明すると
突発的な運動開始時に
不随意運動が数秒間
誘発されてしまう病気です。

私の場合は、右半身が麻痺したかのように
外側へねじれるような発作が起きます。

まず、そこそこ得意だったはずの
徒競走が苦手になりました。
私、サッカーもやってたし、
運動神経、良い方だったと思います。
なのに、よーいどんの後、
右半身がねじれちゃって。
顔も右側が引き攣っちゃって。

ビリでゴールしました。

何度も優しい友達に心配されました。

それから、とにかく人の視線が怖くなりました。
だって、ねじれちゃうんだもん(笑)
自分の意思では制御できない
みっともない姿を凝視されちゃうの
思春期の私には物凄く辛かったです。

転がった消しゴムを慌てて拾う時
急いで横断歩道を渡り始めた時
急いで階段を登り始めた時
部活でみんなの前で見本をやる時

数えきれないほど何度もねじれて
何度も転びました(笑)

転ぶ前に止まればいいのに、
諦めて止まって目立つのも嫌で
意地でも動き続けようと必死でした。

高校生の時の体育祭のリレーで
案の定、壮大にすっ転んで
私のせいで半周遅れになったのに
アンカーの陸上部の子が速すぎて
ビリじゃなくなった時は
物凄く盛り上がりました(笑)

私は涙目で血塗れの傷口を洗っていたので
ある意味、今でも鮮明に覚えています😂

テグレトールという
てんかんの薬を飲むと
スッと症状が出なくなりました。
でも、しんどい副作用が
待ち構えておりました。

この世の全ての音が
半音ほど低く聞こえるのです。

慣れれば問題ないのかもしれませんが、
スポーツも音楽も大好きな私にとって
どちらを諦め妥協していくかの
究極の選択を迫られました。

他にも色々な事が重なって、
私は結局、音楽(歌)を選択しました。
(今は薬を全く飲んでいません)



他人の視線から誘発される

「緊張」

たぶん、私は人一倍身体に出ます。
そしてそれは、過去の経験が
大きく関係していて、
中々消せないということ。

克服したくて、舞台に立ち続けた大学生時代
克服したくて、今、社会でもがいていること

そして、弾き語りの活動をはじめたこと

人前で手が震えないことなんてないのに
アコギを弾き始めました。

たぶん、私という人間は
私が思っている以上に
自分で自分が嫌になるほどに
負けず嫌いで

どうにかしてできるようになりたい
どうにかしてやり遂げたい

無意識下でそう思ってしまっているようで。

しょうがないので
これまでもこれからも、
泥臭く生きていくしかなさそうです(笑)

ちなみに、病気との付き合い方は
なんとなくわかってきて、
私は絶対に突発的に動き出さないように
気をつけています(笑)

動き出す前にスクワットしたり
その場で足踏みしたり
手をグーパーしたり


25歳、手の震えは日常茶飯事ですが
いつか堂々と自分の身体を信じて
人前に立てる日がくることを願って。

今日も明日ももがき続けます。


最後まで読んでくださり
ありがとうございました。


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