かわいそうって言葉

あたしの1番嫌いな言葉ランキング堂々1位『かわいそう』

可哀想って言われると、何だかイラッとしてしまう。
可哀想って言われると、何だか悲しくなってくる。
あたしはすごく楽しいし、あたしはすごく幸せなのに、他の人から可哀想って思われてるんだって思うと勝手に自分を否定された気になるんだよね。

生い立ちが複雑な人が可哀想なのだろうか。
不幸せな人が可哀想なのだろうか。
何にも満足できない人が可哀想なのだろうか。
全部違うんじゃない???可哀想って自分の物差しで相手を測ったときに思うんじゃない???でも、それも何かちょっと違う気もする。

では、ここで少し、あたしが今まで出会った可哀想な人の話を少しさせてください。

その人はね、あたしのお母さん。
お母さんに対して可哀想なんて最低な娘だと思う。でも、お母さんってすごく可哀想な人なんだなって思う。ちょっと矛盾してるけど。

あたしのお母さんは21歳であたしを生んで、すぐにシングルマザーになった。当時、若いママ、シングルマザーは珍しいからすごく苦労したらしい(この話はまた別の機会にでも)。でも、ママはすごく根性がある人だから毎日必死に生きてきた。雨に打たれても風に吹かれても転んでも。

そんなママに一応救いの手が現れた、それがあたしの今のパパ。金も仕事も車も免許も何一つ持ってなかったけど、持ち前の優しさと虫を殺せる強さだけはあった。パパのもうアタックの末、ママはコロリと落ちたわけなんだけど。

ママとパパの結婚にばーちゃんは大反対、毎日電話でケンカしてた。ママが受話器を握りしめて泣いてる姿を何回も何回も見た。再婚するまで、あたしはママが幸せそうに笑ってる姿を実は見た記憶がない。毎日毎日に必死に生きてるママがちゃんと笑った顔を見たことがなかったんだ。喧嘩した夜はママいっつもあたしを抱きしめて、泣きそうになりながらこう言うの、『ごめんね』って。何がごめんねなのか分からなかったし、口が達者でもなかったからあたしはただ抱きしめられていることしかできなかったけど。

ママには心休まる場所がずっとなかったんだなって、当時を思い出すとそう思う。親も娘も友達も、ママにとっては居場所でも休める場所ではなかったのかもしれない。
あ、でも今はママは幸せそうに笑ってる。しわくちゃな顔で、思いっきり口を開けて。おまけにふっくらしちゃったしね。

お母さんは可哀想な人。
だから、お母さんは『可哀想』って言葉が嫌い。
お母さんは自分を可哀想だなんてちっとも思ってないみたいだけど。

もしかしたら、可哀想って言葉が嫌いなあたしも可哀想な人なのかな、もしかしたら自分ではそう思っちゃってるのかもしれないね。