応援の気持ちとエゴと

最近Twitterでよく見るこの画像

あーーめちゃわかる。
人気が出てきてお金使うオタクも増えて楽しそうにしてるの見るともう自分なんか要らないなって気持ちになるよね。わかる。わかる。
でも、なんかモヤモヤもある。何でか考えてみた。

①そもそもじゃあ自分は必要だったのか
その対象の人の知名度や自分が使ったお金にもよるけど、自分が今まで必要とされてたって思うの、傲慢じゃない?
本当に活動に支障をきたすレベルで売れてなくて困ってるアイドルに必死にお金使ってたとかならまぁ必要とされてたのかもしれないけど。
これが時給もちゃんともらってるコンカフェとかで、ドリンク代少し出す程度の話だったら別に今までだっていてもいなくても支障なかったんじゃないの?自分の存在、そんなに大きかった?

②売れたから離れるって何
アイドルでもコンカフェでもそうだけど、対価を払って楽しい時間を提供してもらうっていうただそれだけの話なのに、相手が人気出たかどうかなんて関係なくない?本気で推してるなら今まで通りお金払って楽しめばいいじゃん。それって何か個人的な繋がりとか見返りとかプラスアルファを求めてるからその可能性が低くなって嫌になったんじゃないの?

③ファンは多い方がいいに決まってる
①と矛盾するところもあるけど、新規ファンが着いたから古参が離れるっていうんじゃファンの総数増えないよね。枯れ木も山の賑わいと言うし落とす金額に関わらずライブの動員は1人でも多い方がいいし別に離れる必要ないよね。


と、いうのがこの画像の人に対する反論。

まぁでもさ、最初に書いた通り気持ちはわかるんだよ。
推しがイケメンのオタクとかお喋りの面白いオタクとワイワイやってたら、自分の存在価値なんてないなと思うもん。③で書いた通り本当は価値ゼロではないんだけど、1人くらい消えたって大したダメージではないし他のオタクが損失は補填してくれるし、何よりそんな様子を見て嫉妬するの辛いじゃん。
俺1人来なくなったって別に推しは寂しくもないでしょ、新しいファンが沢山いてくれるんだから、みたいな卑屈な気持ち。
これはその子を自分が支えていたという自負がある人は余計にそうだと思うし、なければ去ることに抵抗は少なくなると思う。
被害妄想の強い言い方をすればこれまでの自分のポジションを新しく来た人に奪われて居場所がなくなってしまった、みたいな。
もちろん対象の相手は「来てくれて嬉しいよ」って普通なら言ってくれるはずなんだけど、その言葉の重みを昔ほど感じられないと思う。

推し活ってさ、相手が喜んでくれることを目的としてやるものだから、自分の感情がどうとか本来は関係ないんだよな。他のオタクが多かろうができる限りのことをして喜んで貰えたらそれで満足ってのが正しいあり方だし他のオタクに嫉妬しても仕方ないんだよ。
まぁでもこれに共感してしまう時点で俺も「推し活」には向いてないんだろうな。頭では正しくないとわかっていてもさ。
他のオタクはライバルじゃない、むしろファンが増えて良かったねと祝福するべきところなんだ。
でも「他の人と仲良くしないで、俺を見て!」なんて言うのはただの害悪オタクでしかないし、それをわかってる人が画像みたいに去っていくんだよね。
純粋な推し活って難しいなと思う。

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