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褒められない自分

こんばんは。今日は自分の気質の話。

なんとか卒論の文献(読みやすいエッセイ)を読むことができました。ただ、もし今日何も読めなかったら、ものすごく自分を責めてしまっていたなという気持ちがあります。読めて良かったとは思いますが、読めて自分すごいとはあまり思っていません。自分を正面切って褒めることがかなり苦手なんですよね。

それは、自分の中に「べき」「ねばならない」の自縛思考が大きな割合を占めているからなのではないかと思います。責任感と義務感とが強いんです。いつからかは分かりませんが、物心がついたときには完璧主義的な性情があったと思いますし、典型的姉体質と合わせても、小学生の後半には既に強化されまくっていた様な気がします。

さらに、私は自分をも信用することができません。自分が関わっている何かがうまく行ったとしても、それは自分の手柄ではなく周りの人のおかげであると考えます。失敗すれば、その責任は自分にあると思いがち。

だから、休んで明日はやる、と言った未来の決意がしにくいんです。今やらずに先送りにしてきちんとやると信じられない。だから、例え体調が良くなくても無理してやろうとしてしまいがちです。諦めが悪い、と言った方が良いでしょうか。

どうしてこうなってしまったんでしょう。思い当たる過去はありますが、確定ではありません。

一つは、なまじ成績が良かったせいで満点基準で減点法の捉え方をされ続けてしまったことでしょうか。自分だけでなく、中学高校の先生や家族にも。センター理社は満点とって当たり前、みたいな指導をされていました。おそらく学年上位だったと思うんですけど、点数を褒められる前に「なんでこれ間違うかな」みたいなことを言われることが多かった気がします。あと時々テストの点数がなぜか先生から別の生徒にバラされるなんてこともありました(個人情報なのでは…)。完璧主義も多分この辺りと関係しているような気がします。

それから、中3の時に人間不信になってしまったこと。人間関係トラブルがあって、当事者間での解決が不可能だったので先生に間に入ってもらったのですが、それがだめでした。解決ではなく、傷ついて終わりました。人を信じ切ってはいけないと思うようになったんです。それ以来困りごとを相談するのにものすごく葛藤を経ないとできないという状況に。要は抱え込むしかないなと判断したんです。

そして、スイミングの縦のつながりが変わってしまったことでしょうかね。私が選手になったばかりの頃は、中学生高校生のお兄さんお姉さんが大会のマナーや時間の確認などを手伝ってくれていました。ですが、私が小学校高学年になったときの中高生がそれをやらなくなり、ちびっ子が問題行動を起こすようになり、小学校高学年だった私たちの学年が半押し付けられるような形でお世話をしなければならなくなったんです。年上なんだからお世話して当たり前、というように。感謝されることはほとんどなく、ちびっ子が暴れると怒られるという理不尽な環境でした。

まあわかりません。でも、私に自己肯定感があまりないのも自分を褒める意識が薄いのも、自他ともに信用するのが苦手なことも事実です。もしかしたらこの気質が自分を苦しめてしまっているのかなと思うようになった次第です。

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