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文旦がある夜

こんばんは。今日はちょっとした一コマ。

実家では、たまに文旦が登場しました。黄色くて丸くて大きい柑橘類です。爽やかな味で、甘味も酸味も控えめで美味しいんですよね。

ただ、食べるのにちょっと手間が必要です。というのも、大きい、外側の皮が厚い、小袋の皮も厚い、種がある、と4拍子揃っているからです。なので、皮を全て剥き、タネを取った状態(つまり果肉だけ)にしてから食べます。

最初は母が、その後両親が剥いていました。娘二人(私と妹)はというと、それをみていて、「食べていい?」とお伺いを立てて食べるか、剥き終わるのを待って食べるかでした。圧倒的フリーライダー感。

そのうち、食卓に文旦を持ってきて、姉妹も皮むきに参加するようになりました。台所で外側の皮は剥いてしまい、白い部分が残った文旦を小袋ごとにわけ、分解していきます。自分の分を自分で剥くのではなく、とりあえず全部皿に剥いたものを積んでいくスタイルです。食べられない部分はまとめて一つのボウルに。家族全員で、ちまちまと身を寄せながら(皿もボウルも一つなので)ひたすら袋を剥いて処理していく時間です。大体無言になります。

ある夜のこと。この日も食後に父が「文旦食べる?」と聞いてきて、みんなで剥き始めました。ふと気づくと、剥き終わりの皿に妹の手が伸びてきていません。まあちょっと妹の席からは皿が遠かったので、妹が持ち込んだ外側の皮を皿がわりにして、まとめて乗せるのかなあと思っていました。

でも、気になったので、妹の方を見ました。そしたら、袋に残ってしまった果肉を歯でこそげ取っている妹と目が合いました。キョトンとした顔をしてもぐもぐ。
どうやら自分で向いたそばから食べていたようです。

ほぼ同じタイミングで両親も気づき、みんなで大笑い。焦って弁明する妹が可愛かったです。程なくして全部処理が完了したのでみんなで食べました。

ある程度年齢が上がって、私たち姉妹は自分の部屋にいることが増えていました。姉妹ともに明らかな反抗期はなく、父と距離を置くような時期もほぼなかったとはいえ、以前より同じ建物にいながら家族4人でいる時間が減ったのは事実です(ただし、姉妹二人ともスイミングクラブで選手コースに所属していたので、4人同時にご飯を食べる機会は少なかった)。

だから、食卓を囲む時が主な一家団欒の時間なんです。食後に果物が出ることはよくありますが、りんごやさくらんぼなどと比較して、文旦はより家族の時間を過ごすのに活躍しているような印象を受けます。鍋を囲んでいるのと似たような感覚なのかもしれません。家族で同じ作業をしているからなのでしょうか。

きっと、4人で文旦を剥くのも残りそう多くないと思います。少し寂しいですね。文旦を剥く夜は、家族が穏やかに一緒に過ごせる時間ですから。

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