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生き方

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ふとした日常から「生き方」について考えた軌跡。
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#エッセイ

今日の私は、咲き続ける紫陽花を見て

11,911日目 紫陽花がまだ咲いている。 もう1か月近く咲き続けている。 遡って6月27日。 きれいな紫陽花の壁ができている、と驚いて写真を撮った。 若々しく緑と白のコントラストが美しい紫陽花の壁だった。 そんな矢先の6月29日夜、ひどい嵐が来た。 雷と豪雨と豪風。 桜と同じで、咲いたと思ったら嵐が来る気がするのは気のせいかな。 そんな嵐にも耐えた紫陽花の壁。 そして、1か月経った今。 若々しい緑と白のコントラストは失われて茶色っぽさも出てきてしまっている

今日の私は、1年越しでようやく気が付いた自分の中の壁

11,533日目 うまくまとまってはいない。 でも自分の頭を整理するためにも、私のコーチとの対話を書いてみたいと思う。 コーチングセッションではなく、「コーチとの対話」と書いた理由は何か? 1年前に受けたコーチングセッションについてお話する機会が欲しいと考え改めて時間を取ることにしたからだ。 この依頼をするのに長くかかった。ようやくコーチと話してみたい、と踏み出すことができた。 「まるでかさぶた。でもまだ完全に内側が癒えてはいない状態」 勇気を持って久しぶりにメールを

今日の私は、 “贅沢な”悩みはないと伝えたい

11,480日目 贅沢な悩みなんですけど、と枕詞につける人がいる。 けれど、(自分に言い聞かせる意味も込めて)悩んでいることに贅沢も安っぽいもない、と言い切りたい! この言葉の裏にどんな心理的な背景が潜んでいるかと考えると、比較だというところにたどり着く。 結局、目の前の人に比べて、もしくは世間一般に比べて、自分の悩みは悩みほどのものではないだろうという前提があるからこそ出てくる言葉。 たしかに現実には世界のどこか、日本のどこかでは、私が考えもつかないような苦しさ、

今日の私は、新しい環境に馴染むためにした3つのこと

11,477日目 最近、新しい人に会う機会が増えている。 やっぱり私にとって、いろんな人の生き方、考え方、現時点について聞いたり、話したりすることは単純にこういう時間が好きだって思う。 そして何人かに新しい国に移住することで、しんどくなったり、鬱っぽくなったりすることってないの?と聞かれ、そういえばあまりないかもしれないな…と思い、ちょっと理由を探ってみた。 ⚫︎自分なりの目的を持つ というのが理想ではあるけれど、新しい場所に動く前に少しは考えておくことだけでもとても

渦巻くわだかまりと対峙

11,525日目 私の中に消化しきれていない感情がある。 物理的に遠くヨーロッパに来ても消えることはなく、どこかで言葉にしておきたいことだと思ってこうして書いている。 私は、明るくポジティブな印象を持たれることは多い。でも、noteは私の内面を映す場所。私の隠れ家のような。少しの知り合いがいることへのこっぱずかしさを今日は特に脇に置いておく。どこかにカタチにしておかないと、自分の頭の中ではすぐに整理することを諦めてしまうから、ここに。現に書き始めてから数日、未だまとまっ