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スコッチエッグ

夜中のロンドン。道端でスコットランド人とスコッチエッグを食べた。カオスだなと思いながら。生まれてこのかた、人様の家の前の階段、つまり地べたに座って何かを食べるなんて、許されたことがない。はしたない、恥ずかしい、お行儀が悪い。小さい頃、そう親から叱られるのが1番怖かったから。でもその夜はなぜか、まあいいかと思った。不思議な夜だった。

そのスコットランド人とは閉まりかけのパブで出会った。もうすぐ閉店と言われたから諦めて家に帰ろうとしたら、外で飲んでる彼に出会った。簡単に言えばナンパだけれど、よく日本である一言目で、LINE教えてとか言う殴りたくなるのとはひと味違った。
”It would be such a honour if I could have the privilege to grab another glass of beer with a lady like you”
今でも一語一句覚えているそのフレーズは、もし来世で男に生まれ変わったら、惜しみなく活用させていただこうと思う。

パブやバーが恐ろしく早く閉まるロンドンで、やっとまだ開いているバーを見つけて入った時にはもう12時を回っていた。彼はロンドンにプロジェクトで滞在してるエンジニアで、まだ決まった家もないと言っていた。2人ともアウトサイダーという意味で意気投合し、お互いのことについて話していた時、突然彼が私に聞いてきた。
”Have you danced tango before?”
バレエはもちろんワルツやスイング、ジャズなど一応色々申し訳程度にやったことがあったけど、タンゴはなかった。Noと答えたら、彼は私の手を引いてバーのオープンスペースに連れて行った。その場で私にタンゴを教え始めたのだ。彼がバーテンダーにタンゴミュージックある?と聞いたけど、どうやらひどいプレイリストしかないらしく、諦めて音楽なしで踊り始める。しかし、これまた私がびっくりするくらい下手くそで、
”Are you really a ballet dancer?”
と彼は爆笑。私もつられて爆笑。結局笑いながら席に戻った。ウイスキーを飲みながら、これまでどんな勉強をしてきたか、どんなことに興味があるのか、好きな本、そんな事を話していたら、
”You are actually very smart, aren’t you?”
と彼が言った。ここで
”You are the most beautiful person I have ever seen before”
とか言われたらその場でウイスキーぶっかけて帰るところだったから、嬉しかった。その辺で会った人とまともな会話ができるなんて、想像もしなかったから。
”Can I kiss you”
“Only once”
この会話の後、私たちはこのひどいプレイリストしかないバーを出た。

“What do you want to do next?”
こう聞かれた時にパッと思いついたのが、道端に座って、何かを食べる事だった。小さい頃から絶対にやってはいけないと言われ続けていたのに、なぜか頭に浮かんだ。私が控えめに、しかし楽しそうにそう伝えると、彼はまるでこのお嬢ちゃんどうしてこんなところまで1人で来たんだ?と言わんばかりにいたずらに笑った。2人でTESCOに入って、深夜のスーパー探検。スコッチエッグの前を通り過ぎた時、思わず、
”Oh my god this just became my favourite this morning!!!!”
と興奮を隠しきれなかった。その日の朝初めて食べたスコッチエッグは大のお気に入りになっていた。すると彼は私をじっと見つめて、
”and here’s a Scottish guy just in front of you”
と言った。そう言われるまで彼がスコットランド人という事を忘れるくらい、スコッチエッグが好きだった。私の中での夢の育ちの悪そうな地べたに座って食べるプランでは、お酒も飲まなくてはならなかったけど、残念ながらロンドンでは深夜にお酒は買えない。諦めようとした時、彼がカーテンで覆われている棚に手をかけ、セルフレジなら買えるだろうと言い始めた。そんなことあるわけないと思ったら、やはり体格のいいベストを着たセキュリティが来て、怒られた。慌てて謝り、急いでスコッチエッグだけを買って、2人で走り去った。

プラスチックの箱に包装された2つのスコッチエッグ。目の前には夢に見た人様の家の前の階段。恐る恐る座ろうとするも、なぜか汚い気がしてついつい何度か手で払ってしまう。その夜は真新しい赤いドレスを着ていたからなおさら気になってしまった。そんな私に文句ひとつ言わず、彼はポケットから出したハンカチを階段に敷いてくれた。夜中のロンドンでスコットランド人とスコッチエッグを食べる。きっと二度とない経験だと思う。スコッチエッグは大好きだったけど、なんせ普段夜中に食べる習慣がないので、1/4くらいですでにお腹いっぱいになる。しかし、そもそも食べたいと言ったのは私だし、食べ物は粗末にしてはいけないと言われてきたから、なんとなく捨てるのも後ろめたい。そんな時、彼が私の手からパッと残りを奪い、一口で食べてくれた。
“You can’t eat anymore, can you?”
出会って数時間の人に、全て見透かされる程度には、まだ子供だった。負けたと思ったけど頷く。1/4しか食べなかったけど、スコッチエッグは美味しかった。
“You are absolutely beautiful”
同じ階段に座った彼が、私の顔にかかった髪を耳にかけながら綺麗な低い声で言った。じっと目の奥を見つめられたらさすがにドキッとしたが、その言葉が気に入らない。
“I hate being told that I’m beautiful”
よくもこんな世の中の全ての女に刺されそうなフレーズがスラスラ出てきたものだと思ったけど、割と本心なの確かだった。
“But still you are beautiful and it’s been so much fun being with you”
後半部分を足してくれたから、機嫌も直ったし、少し嬉しかった。

私のiPhoneはWi-Fiが必要だったので、彼のiPhoneを奪い、まだ開いているというバーに向かった。日本ではすぐにタクシーに乗るが、ヨーロッパの町並みはいくら歩いても飽きない。グーグルマップでは30分で着くと出ていたのでせっせと歩き始めると、彼は呆れながらも手を引かれるままに、私の後に続いた。ところが、ここで地図が読めない才能が期待を裏切らず露呈する。目的地まであと3分のところで、どこに向かっているのか分からなくなった。迷っているのを察した彼が、iPhoneを奪い返しスクリーンをしみじみと見つめる。もしや、この人も地図読めないのか?と思っていると、正気か?信じられないという表情で私を見つめてくる。
“Are you trying to take me to a stripe bar?”
信じ難いと言わんばかりにそう聞くと、また笑い始めた。もちろん、私はそのバーがストリップバーだなんて知らなかった。そんな趣味もない。たまたま通りかかったタクシーを捕まえて、2人で乗った。

とてつもなく眠かったけれど、朝が来て、そろそろ家に帰らないとバレエに遅れる時間。ベッドから出ようとする私を捕まえた彼は、
“You are absolutely NOT beautiful”
と囁いて、もう見慣れた顔で笑った。生まれて初めて、綺麗じゃないと言われたけれど、なかなか悪くなかった。インスタントのまずいコーヒーを、
“This is horrible”
と文句を言いながら2人で飲んでいる時、とても楽しい夜だったなと思った。さよならのキスをして、Uberを捕まえて、自分の家に帰る。連絡先も知らない。もう会うこともない。恋とか愛とかそう言う感情ではないけれど、その夜、彼のことはとても好きだったし、素敵な人だった。これから、スコッチエッグを食べるたびに、きっと思い出すと思う。ありがとう、Alan。

#旅行記 #ロンドン #1人旅

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