「妹のことを話してみたい」(その9)~ 浮き草
その日1日で、母子4人が寝泊まりできる場所を確保しなければならない。
これは容易な課題ではない。
上田市に住民票が無く、離婚が成立しているわけでもない。その条件だと母子寮に入るのは難しい。
1週間から10日くらいだと一時避難の形で寝泊りできる施設がある。そこに泊っている間に、兄の私が安く住める部屋を探せば良いだろうということになった。
長野、丸子、小諸、高崎、東京と、様々な候補地があげられたが、まずは今日眠れる場所を見つけなければならない。
避難所が空いているかどうかは、端から一か所ずつ当たってみなければならないため、確認が取れるまでにはそれ相応の時間がかかる。
一旦その場を退出し、食事を摂るなどしながら、事の進捗状況を確認するために電話を入れるようにとの指示が出された。
まずは午後1時に電話を入れてみるようにとのことだったが、まだ結論は出ていなかった。
他の家族と相部屋で良いかなど、いくつか許諾条件を確認され、状況の厳しさが伝わって来た。
その後、上田の町の町案内をしながら、約束した時間に電話を入れたが、これといった成果もないままに、また1時間後、さらに1時間後と同じことが繰り返され、時間ばかりが過ぎてゆく。
今日眠れる場所さえ定まらない。不安とストレスが募り、子どもたちもくたびれ果てて不機嫌になり、不満を口にしたり喧嘩を始めたり涙を見せたり・・・
「いつもは良い子たちなのに」
と、妹を悲しませた。
その収まりのつかない状況に、私も我慢の限界に達し、大声で子供たちを𠮟りつけるという有様。
一旦自宅へ戻り、子どもたちを外で遊ばせながら待機することにした。そして夕方近くになって、ようやく一報が入り市役所へと向かった。
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相談員さんの窓口を訪ねると、思いがけない知らせが待っていた。
緊急避難所ではなく、長期にわたって住める場所が見つかっていた。
肩から力が抜け、安堵感に包まれた。
それまで平静を保っていた妹も、両手に顔をうずめ、声もなく泣いた。
例外的な幸運が幾重にも積み重なった結果であり、普通は、なかなか考えられないようなことだと知らされた。
わずかな可能性の扉をこじ開けることが出来たのも、相談員さんが知恵を絞り、丸一日かけて市内外各所に粘り強く交渉してくれた結果だ。その誠意と熱意は、通常業務の域を越えていた。
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その後も、妹は夫の存在に怯えていた。実兄が上田に住んでいることは知られているので、探し当てられるかもしれない。考えを巡らせても絶対にたどり着けないような場所に身を潜めたいと願った。
初めて体験する信州の冬の寒さも身に応えていたようで、暖かいところに住みたいとも口にした。宮崎か福岡を候補地にあげ、知人を当たり移住の可能性も探ってはみたが、どちらもクリアできない壁が残った。
時が経つにつれ、妹は、生活必需品を揃え、職を探し、次第に上田に根付く覚悟が固まって行った。
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