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「妹のことを話してみたい」(その7)~ 真夜中の電話から

 2月12日深夜。
 すでに眠りに就いていた私は、電話のコール音によって目が覚めた。

 受話器を取ると、聞こえてきたのは妹の声だった。   

 「お兄さん? あたし・・・」

 しばしの沈黙のあと、ゆっくりと話し始めた。

 「別れようと思って・・・、もう耐えられへん。明日、子ども連れて家を出る」

 その言葉に内心驚いたが、妹の声は冷静だった。すでに思いとどまるように説得する段階ではないことがその声から伝わってきた。

 「そうか・・・、わかった」

 事の重大さに比して簡単すぎるやり取りだったが、それ以外に答えようがなかった。

 鈴鹿を訪ねてから約2か月。いつかはそんな時が来るとは思っていたが、こんなにも早いとは思っていなかった。

 「今、泊りの仕事に出とって、明日の昼過ぎには帰ってくるんやけど、それまでには家を出たいんやわ」

 「どこか、行く当てでもあるの?」

 「一晩やったらスズメの家に泊めてくれるって・・・。本当はもっと泊めてあげたいんやけど、今ご主人が大きな仕事を抱えててピリピリしてるから無理なんやて。それから後のことは、スズメの家で考えようって思ってる。とにかく、はやく家を出んことには帰ってくるから・・・。
 もう、帰ってくるって思っただけでも、怖くて怖くて居ても立ってもおられへんの。胸がドキドキして、汗が出てきてね・・・」

 子どもは3人。上から順に小学校2年生、幼稚園年長、3歳。その3人を連れて、手に持てるだけの荷物を下げ、はっきりした当てもないまま家を出るのである。こんなにしんどいことはない。それでも止めないほうが良いと思った。

 スズメの家に一泊したあとは、近所の知り合いの家、大阪の従弟のマンションなどを泊まり歩き、最後はビジネスホテルに泊まった。

 家を出てから約1週間。共通の知人を通じて夫と連絡を取り、第三者立ち会いの上で、話し合いの場が持たれることになった。
 場所は、妹たちが一週間前に出てきた、その部屋である。

 その日は、妹サイドの立会人として、私もその場に加わることにした。上田から信越線、中央線、近鉄線を乗り継いで、鈴鹿に向かった。

  **  **

 夫の話しぶりを聞いていると、妹との接点を見出すことは難しいと思えた。
 夫とその立会人、その二人の発する言葉は、まるで遠く離れた異世界の物語のようだった。

「お父さんがいてお母さんがいる。家庭の幸せっちゅうのはそういうもんなんや」

 情感たっぷりに、優しい口調で話し始めた。事情を知らない者がそれを聞いたら、心がほだされるかも知れない。

 「お父さんが欠けてもお母さんが欠けても、子どもは不幸になる。何の不自由もなく暮らしとったのに、急に貴美子も子供たちもおらん。そんなんあかん。前と同じように家族みんながいる状態に戻してほしい。それだけや」

 慈愛に満ちたかのような穏やかな口ぶりではあるが、自分の非には一切触れようともせず、絵に描いたような虚しい理想論ばかりを語っている。
 男にしてみれば、家族を取り戻せるか否かという瀬戸際に立たされているわけで、これ以上ないという一世一代の名演技だ。語り部のような情感に訴えるような口調に、自分で酔っているように見えた。

 事情を知っているだけに、私は、その様子を冷ややかに目で見ていた。

 夫の独演が続く。
 「暴力が怖いから言うて逃げるのは子どものすることや。僕の場合、どうしても手が出てしまうんや。それも愛情なんや。それくらい子どもやないんやから解ってくれ。僕が言いたいのは、家を出る前の状態にそっくりそのまま戻ってほしい。それだけや。それが子どもたちにも一番いいんや」

 立会人もいちいち頷いて、同調の姿勢を貫いている。

 そんな勝手な言い分をどうやって引き寄せることが出来よう? 両親が揃っていれば幸せな家庭だと言うならば、妹が現在夫に対して、もはや恐怖と嫌悪しか感じていないのは何故なのだ? そこに触れずに、元のままの形に戻せという。土台無理な注文だ。

 ― 手を上げるのも愛情なんや ―

 そんなものが愛情だと言うのなら、この場でお前に、その10倍でもくれてやろうか・・・
 
 相手の主張とは全く異なる観点から話をスタートさせ、自らの態度を改めるようにこんこんと説得したとしたら、その場で全て受け入れるようなそぶりを見せるかもしれない。それには多くの時間と労力が必要だ。
 骨の折れる作業だが、そうすれば、単なる振りではなく、本気で自らの行動を改めようと自分に言い聞かせるかもしれない。
 だが、そうしたところで、それを長きに亙って継続できるだろうか? 心の奥に潜む根本的な問題が、無くなるわけではない。ほとぼりが冷めると、どうせまた同じ轍を踏むことになるのは、目に見えている。

 そんな無駄なことにエネルギーを注ぐ気は起らなかった。

 取り敢えず、その場で存分に話させ、胸に充満している不満を発散させて、その場を収めようと思った。

 「君の言いたいことは解った。すでに言葉は繰り返しになっている。話すべきことは全て話し終えたようだから、あとは妹がどう判断するかを待とうじゃないか。今夜じっくりと考えて、結論を出すだろうから・・・」

 夜10時を過ぎていた。とにかくその場に終止符を打ちたかった。
 男は、存分に胸の内を吐きだし、その言葉が相手の胸に響いていると思い込み、翌日にも自分の女房が子供を連れて戻ってくると信じているようだった。
 戻るときに車が使えるようにと、私にキーを渡し、最後は握手して別れた。

   **  **  **

 翌朝、妹の友人の協力を得て、社宅から生活必需品を可能な限り運び出すことにした。妹は夫の影に怯え、部屋に入ることにさえ恐怖を感じ、焦りに焦っていた。
 荷物を車に積めるだけ積み、そして私は鈴鹿を後にした。夕方からは仕事が入っており、それまでには戻る必要があった。
 妹は、その後病院の精神科から小学校、幼稚園と大慌てで駆けずり回り、各所に今後の意向を伝え最終手続きを済ませ、そして、市役所の婦人相談で、両親の住む鹿児島に向かうか、兄である私の住む長野県に向かうか、結論を出すことになる。

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