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「遣りきれない思い ~ 16年前の手記」

 妹・明美(仮名)からの電話で事情を知った。明美は現在40代半ば。我が身に直接降りかかってくるようなことは何も無いのだが、遣り切れない思いを持て余している。

 バツイチで3人の子持ち。今の世の中ではそれほど珍しいことではない。夫と分かれたのは、確か12年前だったか。

 あの離婚は、避けようがないように思えた。
 1度遊びに行ったこともあるので家庭の空気がどのようなものだったかは大体知っている。
 その男の妻に対する侮蔑的な態度は、目に余るものがあった。後で聞いた話によると、それでも僕がいたので、いつもよりマシだったのだという。

 外づらの良さに騙されて一緒になったものの、結婚後、夫は次第に変わっていった。その態度は、第三者である僕の目から見ても、嫌悪の念を抱かせるものだった。
 過去に受けた暴力と、言葉による恒常的な愚弄・侮辱が原因で、明美は夫に対する恐怖心が芽生えた。夫が帰宅すると動悸が止まらなくなり、精神科に通うほど心のバランスを崩していた。
 夫が出張中だったある夜、明美はついに子供を連れて家出することを決意する。知り合いの家を泊まり歩き、その後の具体案を練り、結局その町から遠く離れた町に住むことに決めた。

 その男から僕を含む知り合い数人に、涙ながらの電話があった。
 喉を振り絞るような声で
 「僕の暴力がいかんのだったら、この腕を切り落としたら、帰ってきてくれるだろうか」
 などと、感情に任せた非現実的な言葉に、誰もが冷ややかだった。

 真由美の家出から半年後、離婚調停に入った。男の主張は、常に自己中心的で、何も問題の無かった幸せな家庭を、ある日突然奪われた男として、憐憫を誘うような芝居がかったものだったらしい。最初のうちは、周囲は夫に同情的だったというが、話が進むうちに次第に真実が露呈し、最後には離婚が成立した。

 それから12年経った今、元夫の義弟から(家庭環境が少し複雑らしい)電話連絡が入った。
 明美に連絡が取れないというので、仲介を頼まれた形。
 元夫のお父さんが亡くなり、3人の孫への財産分与に関する手続きが必要になったというもの。息子である明美の元夫ではなく、なぜ孫に財産が渡るのか・・・。

 昨年亡くなっていたのである。

 離婚から数年後、リストラに遭い、その後職も無く、心身ともに弱っていたらしい。車の中で衰弱死しているのが発見されたという。それ以上の詳しいことは分からない。

 嫌いな男だったが、そんな哀れな死に方をされて嬉しいわけがない。付き合いが無くなったとしても、どこかの空の下で元気に生きていて欲しい。具体的にそう考えなかったとしても、それを大前提として、暗にそう願いながら生きていたことに気付かされた。

 亡くなったのは、昨年の秋だというから、少し時間が経っているが、心から冥福を祈る。


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