自殺未遂した時を振り返る。後編

10月23日は私の自殺未遂記念日です。おめでたいですね、あれからもう一年経ちました。バイトをしていたらあっという間に時間が過ぎたなぁ。という事で誰得って感じなんですけど自分の人生に必要な備忘録として書き始めたこの記事を最後まで書き切りたいと思う。


何年ぶりかの血液検査

どうやら鼻から直接胃まで突っ込まれていたあの薬がきちんと効いて正常な体に戻っているか血液検査で判断しなくては行けないらしい。かく言う私は大の注射嫌いで生まれてこの方、しなくていい注射は全て拒否して逃げ続けてきた人間だ。でも、採血して正常な結果が出なければこの水も飲めずにカラッカラに乾いて喉が痛くなりつつあるこの状況を脱出できないので、「私、注射苦手なので押さえつけてもらえますか?」と言って、体格のいい男性の看護師さんに体を抑えてもらいながら、「痛ァ!!!!」とでかい声を上げてなんとか採血を済ませた。自分でも想像できないくらいでかい声が出た。何時間かして結果が出てきたら見事正常値に戻っていたので、運ばれた翌日(?)に退院する事になった。

さて、見事退院出来ることになった私は服を着替えることが確定した。運ばれた時に来ていた服を透明なビニール袋に入れて返却されたがそれは私が着てた覚えのない部屋着だった。確かにこれは自分の持っている部屋着で間違いないのだけれど、自殺未遂をした時に着てた服じゃない。頭にはてなマークを浮かべながら服が入った袋を開けたらゲロの匂いが漂った。パブロンの特製イエローカラーのゲロ。両親に「なんでー?あれ?」とか言っていたらどうやら救急車が来た時点で服を着ていなかったらしい。でも私は服を脱いだ記憶が一切なく完全に記憶が飛んでいてめちゃめちゃビックリした。正直着れる状態ではなかったので、親に売店の服を買ってきてもらった。入院中の老人が来てる軽い浴衣みたいなやつしかなくてそれを買ってきてもらった。

ワクワク!入院費用発表!

さて、救命救急センターに運ばれたわけですが、もちろん無料なんてことはありません。救急車を呼んだ当初はお金のことなんて全く考えてなかったし、なんなら入院も初めてだったから「あ、お金払うのか」って感じで請求書を貰って支払いに行った。看護師さんに送り出され、両親と一緒に軽い浴衣みたいなやつを着て、さぁいくら払うのかってなったらまさかの30万。(詳しく覚えてないけど多分それくらい)あ、保険適用外なんですね、まぁ自分で薬飲んじゃって死にかけてますもんねと、ビビりつつも看護師さんに教えてもらった、精神科への通院履歴があればちゃんと3割負担になるって聞いたので受付の人に言ってみたら、無事に3割負担に。医療制度ありがとう。もうしません。


↑ここまで書いて以降半年以上放置してました!今から書きます(笑)


そして家へ戻った

父親の運転する車に乗って一人暮らしの家に到着。正直服があんな状態になっていたもんで恐る恐る家に入るとイエローカラーのゲロがそこそこ撒き散らされている床とご対面☆母親に手伝ってもらいながらゲロを処理してフキフキ。本当に申し訳ない気持ちだった。でも母親は意外と冷静でびっくりした。そして、生々しくて昨日自分に起きたことは紛れもない事実なんだなぁと実感。流石にあんな事になって一人暮らしさせる訳には行かないということで急いで荷造りをして実家に強制送還。無事に実家に着いた。自殺未遂をして出戻りした人間だけど、家族と過ごす日々は温かくて安心して一人暮らしで孤独に戦っていた日々とは大違いだった。

おばあちゃんに自殺未遂をした事を話してみた①

実家に帰還して少しだけ時間が経った。流石に突然地元に戻った孫に対して祖母達は驚いている訳で、私の口から自殺未遂をして病院に運ばれたことを伝える事にした。まず、実家で父と母と生活を共にする父方の祖母に話したら「思いやりの気持ちを忘れない事が大事」「嫌な人にだって笑顔でこんにちはって挨拶するんだよ」的な事を言われた。父方の祖母は昔から口癖のように「思いやり」という言葉をよく使う人で、正直自殺未遂についてなんの関係があったかはよく覚えていないけど最終的にその一言にたどり着いた。昔から世間体や周りの評価を気にする人間で、祖母はそうやって生きてきて、今の祖母になったのだろうと思った。周囲の人間との関係性を上手く保っていく、それが祖母のスタイルである。

おばあちゃんに自殺未遂したことを話してみた②

次に家から車で20分ほどの距離で母の実家に祖父と叔母と暮らす母方の祖母に話してみた。その日はただ祖母に会いに来ただけで自殺未遂について話そうとした訳じゃないのだけれど、2人で近所をお散歩して祖母が疲れたというので公民館のベンチに座っておしゃべりをしていた時にその話になった。祖母からは意外と辛辣な言葉が出てきて「○○(私の名前)は甘えてる」とピシャリと言った。その後に続けて「自分が若い時には周りの目なんて気にする暇がなくて、とにかく自分のことしか考えてなかった。だからそれでいい。他の人と比べなくていい、○○は○○で頑張って生きてるんだから」と言われた。私は今でもその言葉を強く覚えていてとても救われた気持ちになったことを覚えている。

おばあちゃんに自殺未遂したことを話してみた③

『祖母』という立場の2人に同じ話をして驚いたことがある。父方の祖母は「他の人のことも考えて生きていく事で良い人生になる」母方の祖母は「自分のことだけ考えて生きていけばそれでいい」という真逆な考え方をしていたのだ。こんな真逆の考え方をしていた母親に育てられた男女が結婚して子育てもして、と考えると少しだけ面白いなと思った。だから母と祖母は嫁姑関係が悪いんだろうなとも思った。

心配してくれた大切な人達

私が自殺未遂をした事にあたって、とても心配してくれた人が3人いる。特に私が不登校の頃にフリースクールで知り合った親友はOD をしている最中にLINEでやり取りをしていたけど、私が救急車で運ばれて、救命救急病棟の都合でスマホを使わせてもらえなくて連絡が取れなかった期間に心配で心配で仕方なかったそうだ。彼女は私のために沢山涙を流してくれるような子なので、本当に申し訳ない。高校時代に知り合った親友はここまですごいことになっているとは思わず後日笑いながら話をしていたらとても驚いていた。「そんなに悩んでたの?」ととても心配してくれた。そして弟とはあの時ODを実況しながらLINEをしていたのだけど、いつもは全然LINE返さないくせに弟なりにとても心配しているのかすぐにLINEが返ってきて「二度とこんな事しないで」と怒られた。私のことを大好きでいてくれて死なないで欲しいと思っている人がいるのにどうして私は自殺未遂をしてしまったのだろ。その事を思い出せないくらい弱っていたのかもしれない。

ちなみに当時付き合っていた彼氏には途中でLINEを既読無視されたので別れて良かったです☆彼女の緊急事態に駆けつけられない男はクソ。今でも根に持ってます、くたばっとけ。

自殺未遂をした私ですがもうすぐあれから2年経とうとしています。今でも時々死んじゃおうかなって時が度々ありますが、死なない程度のODとタバコと酒の力を借りて何とか生きています。仮にあの時とかあの時以上のODをする時は本当に死ぬ時だと思っています。絶対救急車は呼びません。バイトも意外と続いてて数ヶ月前に務めて1年になって時給もちょっとだけ上がりました。


私が自殺未遂した話はこれで終わりです。完全なる自己満足で書きました。

おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?