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同じ穴の川獺

その日はなぜかいつもより少しだけ早く目が覚めた。昨夜、休みの前日だからと久しぶりに酒を口にしたせいだろうか、どうやら眠りが浅かったらしい。大きくあくびを2回、その勢いで

「Alexa、おはよう」

と我が家の働き者に声をかける。彼女(?)はいつも通り抑揚の乏しい言い方でおはようございます、と返事した後ニュースを読み上げてくれる。いつものルーティンだ。

流れるニュースを8割方聞き流しながら、電気ケトルにたっぷりの水を注ぎセット。そのまま食器棚からホットサンドメーカーを取り出し、ダイヤルを3の数字に合わせ予熱開始。ここで待ち時間が生じるため、その隙にトイレを済ませる。

手と顔を洗っているとチン、と乾いた音が響く。予熱終了の合図だ。私は8枚切りの食パンにチーズとスライスしたトマト、バジルを挟みながら流れるニュースに耳を傾ける。

「……店舗数が減少しアーケードの維持費修繕費を賄えなくなった結果、地域の商店街の消滅が大きな問題となっています。商店街振興組合によりますと、『店鋪などの老朽化や経営者の高齢化が深刻な問題となっていることに加え、大型店舗と比し利便性や集客力の面での問題を抱えている商店街が少なくない』とのことです。これらの問題はマネジメントによって解決可能であるものもありますが……」

商店街か、とぼんやり考える。私は商店街というものが非常に好きだ。雰囲気もそうだし、溢れる下町感がたまらない。しかしその割には、最近全く行っていない。というか、二年程前に地元を離れて関東に引っ越してきたが、引っ越してから一度も行っていない。

今日は商店街へ行ってみようか。確か、4駅程先に小さな商店街があると友人が言っていた。そうと決まれば早速準備に取りかかろう。私は急いで「ほぼマルゲリータサンド」を焼き上げ、沸騰したばかりのお湯でたっぷり紅茶を淹れる。今朝の一杯は、開封したてで新鮮なルフナだ。「ほぼマルゲリータサンド」のトマトの酸味とルフナのコクのある甘味が調和して、とても美味しかった。脳内で「トマトの酸味とルフナの相性◎!」とメモする。

手早く朝食とメイクを済ませると、Alexaに行ってきますと声をかけ家を後にする。晴天だ。私はるんるん気分で歩き出した。駅まで徒歩5分、それから二十分も電車に揺られれば、目的地はもう目の前だ。

「おお……!」

アーケード街の広さに、思わず声が漏れた。想像以上に賑わっている。俄然わくわくが増してきた。年季を感じるタイル床に足を踏み入れる。

入り口には牛丼チェーン店やファストフード店が並んでいたが、少し歩けば品揃え豊富な酒店やオープンな豆腐屋などが見えてくる。これこれ!と心の中で声をあげる。

こういう場所では財布の紐が緩みに緩んでしまう。とにかく目に入るお店に入り、少しでも気になったものを手当たり次第に買っていると、気が付けば両手は荷物でいっぱいになっていた。

まだ商店街の半分ほどしか来ていないのに、困った。どこかで腰を落ち着けて、荷物をできる限りまとめて少しでも体積を減らすことにしよう。しかしメインストリートには手頃な場所はない。少し道を外れたらベンチとかないかな?と思い、横道へと方向転換する。

すると、小さなお店が目に入った。入り口には手書き文字で『喫茶おそ』と書かれている。あまり広くはなさそうだが、窓から見える店内にはお客さんは居らず、荷物の整理くらいは十分にできそうだった。それに何より、いかにも下町感のあるお店の雰囲気が魅力的だ。スライド式の店の戸を開ける。入り口には手作り雑貨が所狭しと並んでいた。

「すみません、カフェを利用したいんですが」

私のおずおずとした決して大きくない声に、カウンターの向こうにいた女性が「はーい」と優しい声で返事をくれる。

「あら!珍しいわあ、若い子が来てくれるなんて」

カウンターの脇から出てくると同時にぱあっと顔を明るくして迎えてくれる。白髪混じりの髪を後ろで束ね、手作りであろうエプロンを身につけている。エプロンのポケットには顔を覗かせる川獺の刺繍があり、何とも愛らしい。年齢はいくつくらいだろうか。七十手前くらいか……いや、あまり考えるのも失礼だなと私は頭を振って思考を振り落とす。

「まあまあ、好きなところに座ってね。と言っても狭いから窮屈かもしれないけどね。あ、あなたは細いからきっと大丈夫ね、あっはっはっは」

矢継ぎ早に言葉を繰り出され、少し気圧される。が、なんとなく良い人そうだ。ありがとうございます、と返し、少し逡巡してから私は奥のテーブル席に腰掛ける。持っていた荷物はとりあえず横の椅子にまとめて置くことにした。

「何か飲む?一杯サービスするわよ、これメニューね」

「あ、ありがとうございます」

「あ、でももうすぐ常連の人たちが来ちゃうから、少しうるさくなっちゃうかもしれないけど……大丈夫?みーんなおばあちゃんだから、あなたみたいな若い子がいると嬉しくって話しかけちゃうかも」

「あ、全然大丈夫です。むしろすみません、皆さんの憩いの場にお邪魔してしまって」

「あら、いいのよ。元気もらえちゃうわ。何飲むか決まった?」

「え!?えっと、じゃあ……紅茶ください。ホットで」

「はーい。ちょっと待っててね」

勢いがすごい。気が付けば紅茶サービスまでしてもらっちゃった。うーん、まあいいか。お言葉に甘えさせてもらおうかな。でもそれだけだと申し訳ないから、後で追加でアップルパイも注文しよう。そう決めて横に置いておいた今日の戦利品に手をかける。からし高菜とドライフルーツを取り出した瞬間、お店の戸が開き、女性の声が響いた。

「昭子さーん、来たよ!今日はみっちゃん来れないってさ」

私がそちらに目を向けると、女性二人が入ってきた。声の主の女性は明るめの茶髪でメイクばっちり、切れ長の瞳に赤のアイシャドウがよく映えている。その後に続いた女性は黒々とした艶のあるショートヘアに柔和な笑顔を浮かべている。この方たちが常連さんなのだろう。どちらも若く見えるが、これだけ気軽な声かけをしているということは店主とさほど変わらないのだろうか。

「あらそうなの。また病院?」

店主……もとい昭子さんがキッチンの奥から答える。

「ううん、なんかお孫さんが来るみたい……あら!綺麗な子がいるわ、どうしたの?昭子さんのお孫さん?」

言葉の先が急に私に向く。唐突さにちょっと固まっていると、こんにちは〜と茶髪の女性は私に軽やかに挨拶をしてくれた。

「違うわよぉ、お客さん!珍しいでしょ」

ほんとねえ、ここは初めて?とショートヘアの女性にも話しかけられ、少々ショートしかけていた脳を揺り起こし、笑顔を作って返事をする。

「そうなんです。皆さんは常連さんなんですか?」

「そうそう。ほぼ毎日来てるかもね。おばあちゃんになると出かける所もなくなってきちゃうのよ〜」

と茶髪の女性が答えてくれたところで、「紅茶お待たせ」と昭子さんが間に入る。

「ちょっと、あんまり邪魔しちゃだめよ。びっくりしちゃうでしょ」

熱いから気を付けてね、と差し出された紅茶がふんわりと香る。この若々しく爽やかな香りはダージリンだろうか。

「ありがとうございます、大丈夫ですよ。お話してくれて嬉しいですし。もしよかったら、こちら」

そう言って向かいの席を示し、同席の提案をしてみる。二人は「あら、いいの?」とにこやかに応じてくれた。

「じゃあ、私たちも紅茶。それとアップルパイも」

「あ、すみません。私もアップルパイ、いいですか?」

「もちろんよ〜。じゃあちょっと準備してくるから待っててね」

「昭子さん、手伝う?」

「ううん。座ってていいわよ。ゆっくりお話してて」

お客さんがお手伝いすることもあるのか、本当に常連さんなんだなあとしみじみ思う。以前に立ち寄った別のカフェの店主も、忙しいときに常連さんが手伝ってくれることがあると言っていた。ここもお互い持ちつ持たれつな関係があるらしい。

「お姉さんはここら辺に住んでるの?」

ショートカットの女性が尋ねる。お姉さんか……と私は少し苦笑する。

「いえ、ちょっと遠出してきました。ここの商店街に来ようと思って」

「そうなの!それだったら、上の展望台は行っておいた方がいいわよ。ここら辺一体が見渡せて、とっても綺麗だから」

「へえ!行ってみたいです。近いんですか?」

すると、昭子さんが2人分の紅茶を持って来て、言った。

「ちょっと歩くわね。人通りも少ないし、もうじき暗くなるし……女の子一人は危ないわよ。行くなら次の機会にしなさい」

もうじき暗くなる?まだお昼回ったくらいだと思うのだが。外に目をやるが、窓には薄茶色のフィルムが貼られていて、外の明るさは微妙に分かりづらい。店内を見渡して時計を探すが、時計は見当たらなかった。

「それもそうねぇ。ところで、あなたお名前は?」

慌てて視線を目の前に戻す。時間は後でスマホで確認すればいい。

「あ、私、前田ゆうき……優しい季節と書いて、優季っていいます」

「優季ちゃんっていうの、いい名前ね」

昭子さんが椅子を持ってきて、座りながら褒めてくれる。ありがとうございます、とお礼を言おうとしたが、

「ちょっと、アップルパイは?」

と茶髪の女性が昭子さんに問う。お礼を言うタイミングを逃してしまった。

「今温めてるから、少し待ちなさい」

あっはっは、とショートカットの女性が笑い、紅茶を口にする。そこで私も紅茶の存在を思い出し、慌ててティーカップを口に運んだ。

「……美味しい!」

やはりダージリンだ。冷めてしまったかと思ったが、不思議とまだまだ温かかった。それだけじゃない。紅茶のシャンパンと呼ばれるダージリンだが、その名に恥じない繊細で心地の良い香りが口の中でふわりと広がり、鼻に抜けていく。失礼ながら、こんなに美味しい紅茶が飲めるなんて思っていなかった。

「あらそう?お口に合ってよかったわ」

昭子さんはそう言って嬉しそうに目を細めた。

話は途切れることなく続く。アップルパイが来て、私は極端に口数が減ってしまったというのに彼女たちの話は止まることを知らなかった。しかも、ただ延々と自分たちの話をするわけではなく、私の咀嚼や嚥下のタイミングを見計らって質問や話題提供をしてくれる。すごい。これも年の功だろうか。

すると突然、昭子さんが「あ」と声を上げた。

「もうそろそろ、店じまいの時間ね。ごめんなさいね、おばあちゃんたちの団欒に付き合わせちゃって」

「あ、いえ全然!こちらこそ長居してしまってすみません」

店じまいか。随分早い時間に閉めるんだなと思いながら、そういえば結局時間を確認していないのを思い出した。ポケットに手を入れスマホを取り出そうとしたが、その瞬間

「さ、バタバタしてごめんなさいね。お代は結構だから、今日はもう帰りなさいな」

と昭子さんたちに軽く背中を押された。

「……は、はい。ありがとう、ございました……?」

「こちらこそよ〜。来てもらえて嬉しかったわ、また来てね」

そうして、半ば追い出されるような形で私は店を後にした。外はすっかり暗くなっており、スマホで時間を確認すると時刻は十八時を回っていた。

「え?」

どう考えても私が『喫茶おそ』の中に居た時間は二時間にも満たないはずだ。店に入る前に正確な時刻を確認したわけではないが、正午より前に入店したのは間違いない。狐に摘まれたような気持ちで『喫茶おそ』を振り返ると、既に電気は消えていた。

「……」

とにかく私は帰ることにした。お腹も空いてきたし、何より混乱していたから、早く家に帰りたかった。家に帰ったら多少落ち着く気がするのだ。

◇ ◇ ◇

しかし、家に着き、帰り際スーパーで買った三割引の焼き鮭弁当を頬張りながら、私はまだ混乱していた。何度考えても、やっぱりありえない。人間、楽しい時間をあっという間に感じたり、逆に苦痛な時間はずっと遅く感じたりと時間を歪曲させて捉えることはある。確かにあるが、それにしたって度が過ぎている……気がする。

結局お風呂に入ろうが布団に入ろうが、このもやもやは消えてくれなかった。それなら、明日も行ってみようか。商店街も半分ほどしか周れなかったわけだし、展望台も気になるし。

そう決めたのに、その夜はなんとなく寝付けなかった。

次の日、私は昨日と同じくらいの時間に『喫茶おそ』に向かった。道中のお店たちは、日曜日だからか、それとも昨日に劣らぬ晴天だからか、はたまたその両方か……やけに混んでいた。足を止めずに、ここの商店街が潰れてしまうことはなさそうだな、と思う。

メインストリートを外れ、私は『喫茶おそ』にたどり着いた。昨日と同じように手書き看板がかかっていたが、心なしか傾き、薄汚れている。窓はカーテンがかけられており、中の様子を外から見ることはできなかった。

今日は休業なのかと思いつつ戸に手をかける。

「えっ」

開いた。中には誰もいなかった。
所狭しと並べられていた手作り雑貨たちは、床に散乱していた。

「あの、すみません」

声をかけながら店に足を踏み入れる。薄暗いキッチンには割れた食器がいくつか並べられていて、つい最近まで使われていた様子は感じられなかった。

昨日座った席が目に入った。テーブルの上をそっと指先で撫でると、相当な量の埃が纏わり付く。

私は黙って『喫茶おそ』から出た。心臓がばくばくしている。

とても、昨日まで営業していたようには見えなかった。それどころか、年単位で放置されているような雰囲気だった。じゃあ、昨日は、一体……。

とにかくこの場を離れよう。早足でメインストリートに戻ると、『ちゃっこパン』という小さな看板が目に入った。一人でいるのが不安だった私は、迷わずそのお店に入った。

「いらっしゃい!」

女性の店員さんが元気よく声をかけてくれた。私は『喫茶おそ』について尋ねようとして、やめた。

小泉八雲の「むじな」を思い出したのだ。のっぺらぼうを見た商人が蕎麦屋に駆け込むのだが、その蕎麦屋ものっぺらぼうであったーーという、有名な話。今の私の状況にそっくりな気がした。

私は店員さんとまともに目を合わせず、とにかく一番近くにあった塩パンをレジへと持っていく。何も買わないまま出ていくのは失礼だが、あまり長居もしたくない。そんな私の気持ちを知る由もない店員さんは、朗らかに話しかけてきた。

「お姉さん!今日は天気がいいから展望台がきっと気持ちいいよ。知ってる?ここまっすぐ行くとあるんだけど」

「え、あ、はい。本当にあるんですね」

「?うん。時間があったら、行ってみたらいいよ。今日は見晴らしいいよ〜」

「……そっか、せっかくだし行ってみようかな」

「うんうん!お姉さん、カフェオレ飲める?これあげるよ。外でパン食べると美味しいよ」

そう言って店員さんは、塩パンと共に小さな紙パックのカフェオレをくれた。見慣れたパッケージ、どこにでも売っているカフェオレだ。

「ああ……ありがとう、ございます」

先ほどまでの恐怖心やらもやもややらがことごとく砕かれて、なんとも言えない気持ちのまま、私はパン屋さんを後にした。

確かに、今日もすごい良い天気だ。それに、昨日昭子さんたちが言っていた展望台が本当にあるのか気になるので、私は展望台へと向かうことにした。

十五分ほど歩いたところで、展望台に着く。本当にちょっと歩いた距離にあった。
私は置かれているベンチに腰掛け、先ほどの塩パンとカフェオレで早めの昼食にした。

塩パンはびっくりするくらい美味しくて、カフェオレとの相性も最高だった。

◇ ◇ ◇

ぶらぶらしてから、私は家に帰った。昨日と今日は、一体何だったのだろうか。結局、何もわからなかった。
ふと、行った商店街をインターネットで検索してみた。何かわかることがないかな、と思ったが、目ぼしい情報は得られなかった。

閲覧したWEBサイトはとても綺麗で見やすかった。商店街の努力を感じるなあ、本当にここはずっと地域に寄り添ってくれそうだ、と思いながらスクロールをしていくと、サイト下部にお店マップが広がっていた。

そのマップに、『喫茶おそ』と『ちゃっこパン』の名前はなかった。

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