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2020/07/08 wed.日記

気づけばもう2020年も半分がすぎ、折り返している。

時間の流れがあっという間すぎて頭がバグりそう。

4月から新卒会社員としての生活が始まったわけだけれど、今も相変わらず平日毎日仕事をしている。4月当時は完全にテレワークの体制だったけれど、6月に入ってから週一で出勤するようになった。でもほとんど仕事内容は変わらない。出社してやることといえば電話応対が増えるくらい。

仕事のある日々には慣れてきた。

というより、思いのほか今の仕事と学生時代から続けてきた「なにかを作ること」のルーティンが近しくて、慣れるまでにそんなに苦労しなかった。今も仕事をしていると言いながら、日々手を動かして「なにか」を作る、アウトプットすることを続けていて、それは私にとって楽しいことだから、夢中になっている間にさっさと時間が過ぎていく。さらによいことに、上司は停滞を嫌う人で、「とにかく何かしら作って出していく、アウトプットし続けることが大事」と常々言ってくれることに嬉しさを感じて、首を縦にブンブン振りながら何かしら作っては投げ、作っては投げの日々を過ごしている。

入社してまだ3ヶ月ということもあり、退屈はない。

ぼんやりと、コロナと仕事のある生活の中でのルーティンが確立してきた感がある。起床して、朝食を食べ、ラジオ体操をし、仕事に取り掛かる、昼になったら昼食を食べ、休憩を終えたらまた仕事して、仕事を終えて夕食を食べ、風呂に入り、ストレッチをしながらパートナーと電話をして、0時から1時を回った頃に就寝する。

私が社会人になる上でもっとも恐れていたことは、たぶん「停滞」と「退屈」で、かつての自分が思っていたほど現状に対する不満がない。

小学生の頃からなんとなく「普通のOLになりたくない」みたいな気持ちがあって、今思えば小学生の考える狭っこい「普通」がなんなのかよく分からないけれど、多分「誰にでもできること」を仕事にすることが嫌だったんだと思う。人間の「替え」が効くような仕事。単調な仕事。

私が私でなくても回ってしまう世界が嫌だったんだろう。

そういうこともあって、絵を描くこと・この手で何かを生み出すことに意味や意義を見いだしてここまで生きてきたのだと思う。私から生まれ出た何かは私の手でなければ、口でなければ、頭でなければ、声でなければ、五感全てをもってしなければ、生み出せない唯一のものになりうると感じていたから。

会社だとか組織とか、そういったものは均一化されて単調な空間で、そこにいる人々も同じくならされて平坦になってしまうもんだと思っていた。

でもありがたいことに、私が今いるところはそんなこともなく、誰かと違えば違うほどヨシとされ、面白がられる。なんだか皆んなが皆んなそれぞれ変わっていて、面白くて、なんなら私ももれなく代表や上司から面と向かって「あなた変わってるよね」と直接言われた。「それが良い」んだと。

社会状況が予想をはるかに上回って不安定になり、うっすらとした不安がこの世を覆っているこんな時代だけれど、まあいけるところまでいってみようと思う。それでいて私も私を見失わないようにいたいと思う。

この数年、自分の意思をもって切り拓いていくことに躍起になっていたけれど、今はこんな状況だし、大海を漂う流木みたいに、ゆらゆらと揺られてどこへ流れ着くか身を任せてみてもいいのかもしれない。

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(サムネイルの写真はこれ。6月に誕生日を迎えたパートナーにホームプラネタリウムをプレゼントした。ステイホームだし丁度良かった。2人で並んで見たけれど、あまりのクオリティの高さに感嘆した。私も自宅用に買おうか悩んでいる。)

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