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失われていく表現の自由

クリエイティブに精通していない自分がこんな記事を執筆するのはどうかと思うがこの一般人の声もどこかに残していきたいと思い記事を書こうと思いました。
(こちらの記事は「ルックバック」のネタバレがございますのでご了承ください。)

正直、賛否がある話題だと思うのであくまで「表現の自由」という観点をメインで記事を書きたいと思う。

それは藤原タツキさんの「ルックバック」の表現改変の件を受けてである。

まだ、原作を見ていない方は是非、見ていただきたい作品である。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355

公開当初、結末の部分が異なる表現であったのだ。
それは、統合失調症の方が殺人を犯してしまうという筋書きであった。
この部分が一部の意見を受け、表現を変更されたのである。

もちろん、偏見的な表現で「統合失調症=人を殺す可能性を秘めている」という書き方は絶対あってはならないと思う。
が、最初に自分がこの作品を見たとき特段、差別的な表現で書かれているとは感じなかった。
今の世の中、どんな人でも殺人の可能性を秘めていてこの表現が差別的であると言われてしまうと「表現の自由」が奪われてしまう感じた。
結果的に読者の意見を受け、殺人の表現を変更したのである。

昨今、ドラマやバラエティー番組などで様々な表現の規制が増えており、過激な発言は見られなくなってきた。おかげさまで、自分が面白いと感じる作品が少なくなったように感じている。
漫画や小説などではその影響はまだ及んでいなかったと考えていたが、この一件を受けてついに漫画まで表現の自由が侵されてしまったと言わざるを得ない。

いまや過激な発言、一つの思想を持って発言をすれば、叩かれてしまう可能性をはらんでいる。
誤った正義感、多数の声が「国民の声」として捉えられてしまうのはとても怖いことである。

もちろん、それが正しい場合もあるが自身の正論がすべての人間の正論ではないと認識して発言しなければいけないと思う。無論、この記事を執筆している自分もその考えをわきまえて書いている。
SNSが発達し、誰でも匿名で発言できるようになってしまった今だからこそ再度私たちは考えなければいけないのである。表現の自由というものを。

その人がどのような考え・想いで発言したのか、その発言にはそのような考えがあるのか。
そのことを考え知る由もなしに、意見をぶつけるのはただの暴力である。

先述した「ルックバック」では注目をされているが故に表現の変更を余儀なくされてしまったが、今後このような事案があった場合には深く考えて議論するべきであると思う。

クリエイティブな表現を生み出せない一国民からの願いである。


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