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人はなぜ命より潮干狩りを優先するのか~コールバーグと道徳性発達理論 ~

連日、ニュースを見てもやもやが止まらない。

自粛要請のなかで営業を続けるパチンコ屋さん。

それに朝からできてる長蛇の列。

千葉の海で、堤防を乗り越えて潮干狩りをするひとたち。

「こっちのほうがうつらなさそうだから」と箱根に旅行にきた大学生のカップル。

刈り取られたチューリップ。

なんだろう、なんなんだろう、

「不要な用事では外にでないで」って言われているのに、

それでも外にでるこの人たちの感覚はなんなんだろう、

命より大切なアサリってこの世にあるんだろうか、とか

このなかで箱根でつくらなきゃいけない思い出ってなんだろう、とか

どうしてもこの違和感が抜けなくてもやもやしていたのだけど、

ふと、授業で習ったコールバーグの「道徳性発達理論」という理論がなぜか浮かんで、お風呂でぼんやり考えてたら少しずつなんかつながりがあるのかもしれないって思うようになり、

(課題に追われていてそれどころではないが)noteを書いてみることにしました。

Lawrence KohlbergとMoral development (道徳性発達理論)

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このどことなくアメリカ版さだまさしみたいな方がアメリカの心理学者、Lawrence Kohlberg (1927-1987)。

コールバーグさんはなんといっても Stages of moral development という道徳性発達理論の生みの親で有名です。

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こちらが有名な道徳性発達理論の図。

コールバーグさんによると、人間の道徳は3つのレベル6つのステージ(その後4と1/2ステージが追加。また、授業では第7ステージまであるという論文を読みましたがここでは第6まで)に分類できるとのことです。

この理論の世界的に有名な説明が「ハインツのジレンマ」と呼ばれるものです。亡くなりそうな妻を助けるために夫が薬を買おうとするのですが値段が高くて買えず、深夜に薬局に盗みにはいるというもの。そのハインツの行為は「良い行いかどうか」ということを回答者に答えてもらい、それで道徳性理論のステージについての研究をおこなったというもの。

わたしならどう思うかなぁ。うーん。

3つのレベルは

1.Preconventional morality (慣習的水準以前)

2. Convntional morality (慣習的水準)

3. Postconventional morality (慣習的水準以降)

と訳されます。慣習的ってなんやねーん!

ま、大事なことはそれぞれのレベルに2つずつステージが存在するということなので、ちょっと1ステージずつみていきましょか。

①ステージ1:罪になるかどうか

このステージのひとは道徳以前に、「捕まるか捕まらないか」で判断するひとたち。

つまり、「捕まらないし潮干狩りいこ」「べつに法律で規制されてないし警察につかまらないんだから出かけてもいいっしょ」みたいなひとたちです、今の状況だと。とにかく「要請」レベルではこのひとたちはなんともないわけです。

②ステージ2:自分の利益が守られるかどうか

このステージのひとたちは「自分の利益」を基準に考えます

「道具主義的相対主義」なんて難しい和訳がされますが、とにかくどんなに悪いことでも、罪悪感があっても「自分の利益が守られるかどうか」で判断します

「悪いとは思ってるけどお店の経営がかかっているから今も営業をつづけています」みたいなかんじでしょうか

そして次のレベルにあがり、

ステージ③:他人から好かれるか・嫌われるかどうか

このレベルのひとたちは周りの目がすべての判断基準です。

ぱっと思いついたのは、「インスタのストーリーに遊びにいっている写真を載せたらフォロワーから嫌われるかもしれないから外には出ない」というような判断基準です

褒められたい、気に入られたいから良い行動をとり、嫌われたくないから悪い行動は慎む、という道徳性のステージです

ステージ④:外部から与えられたルールを守れているかどうか

このステージのひとは社会で決められたルールに従うことがただしいことだと認識しています

まさに、Stay homeと社会がルールを決めたからそれを守っている。

要請をだしたからそれに従う。そういうステージになります

そして③④の次は最上レベルにあがります

ステージ⑤:合理的に決められたルールかどうか

④からさらに1段階上がり、「これってちゃんと意味がある合理的なルールなのかどうか」を考えて判断をするステージです

たとえば「私が今外にでて万が一保菌していたら誰かにうつしちゃうかもしれない」という考えから「やっぱり家にいよう」という判断に繋がります

自分の利益(この場合は自分がうつされない)から他者の利益(相手にうつしてしまったらどうしよう)と考えることができる段階です

ステージ⑥:普遍的な良心にもとづいているか

これはもう最終段階の、普遍的な良心(自分の倫理観)に基づいているかで行動ができるひと。

「自分が外出すること」と「万人を尊重すること」が一線で繋がるというか、社会のルールを飛び越えて、自分の良心に従うという段階です

国が自粛とかいっているからとかもはや関係ない、今外にでることは私の良心にひっかかるから、という判断です。

ただステージ⑥の危険なことは「良心」にしたがってとんでもない行為をしてしまうリスクがあるということ。

奥様を「愛しているから」薬を盗むというリスクをおかすことや、

たとえば目の前の踏切でおばあさんが渡りきれないときにとっさに飛び出してしまうことなど

それはおそらく自分のなかの「良心」がそれをしなかったら許せないから、かもしれません。

さて、

このコールバーグの道徳性発達理論を考えると、

この最中で潮干狩りにいくひと、パチンコをやりにいくひと、そんな人たちの考え方はもうもはや「道徳以前のレベルなんだ」と腑に落ちたかんじがしました。

「東京より箱根のほうがうつらないと思った」と答えたカップルに対して「どうして自分が誰かをうつすかもしれないという思考に至らないのか」というのも、ステージが③にすらいっていないからと自分のいらいらを少し沈めることができました。。

いや、道徳性発達段階が本当に低いのかはわからないし、すべてのことにあてはまるのかもわからないし、ステージが低いからとそれで済ませてはいけないのだけど。こうして人間の「やっていいこと、悪いこと」の判断って理論から読み解くことができるのかなぁと個人的に勉強になりました。

そしてもうひとつ、ステージ⑥がステージ③より「良い」というのかも私にはわかりません。インスタで嫌われるかもしれないからと自粛しているひとも、良心にしたがって自粛しているひとも、すべては日本の未来に繋がっているのに変わりはないから。

ちょっともやもやをきっかけに書いてみました。

このcovidの例をだして書くのが正解かは専門家ではないので少々不安ですが(間違っていたら訂正コメントください!)気持ちが少し整理できたので課題に戻ります!

参考文献

Kohlberg, L. & Rynarz, R. A. (1990). Beyond justice reasoning: Moral development and consideration of a seventh stage. In Theories of advanced moral development.






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