拝啓、わが家のカニクリームコロッケさま
さくっ
我が家のお祝い事のごちそうは、手作りのカニクリームコロッケと決まっている。
料理上手な母はどんなご飯も美味しいけれど、
さくっ、ふわっ、とろっ、じゅわっ、ほくほく、はふはふ、
最高級の擬音語と擬態語が全て詰め込まれている母のカニクリームコロッケはとびきり美味しくて、特別なのだ。
なぜ特別かというと、
カニクリームコロッケが食べたい!とリクエストしてもその晩にはすぐ食べられないから。
クリームを前日から仕込んで、冷蔵庫で寝かせて、翌日揚げて、とにかく手間がかかるから、だから特別、なのだ。
お総菜屋さんで買うほうが絶対に楽なのに、そこは必ず手作りを貫く。
誕生日、大学の入学式、就職が決まった日、お祝いの日の食卓には、ほくほくでふわふわのカニクリームコロッケが並ぶのだ。
クリーミーでまろやかで、さくさくでほくほくで、
叙々苑の焼き肉よりも、回らないお寿司よりも、最高級贅沢フルコースのメイン料理の特等席は、間違いなくわが家のカニクリームコロッケ様が譲らない。
ちくん
私は25歳で初めて実家を出た。
念願叶い、憧れだったニューヨークの大学院への留学が決まった。
一人娘、生まれてからずっと家族3人で暮らしてきた我が家を離れるのは、25歳という世間から見れば実家を出るのは遅い年齢でも、なんだか不思議な気持ちだった。
その時はめまぐるしく引越しの準備に追われ、ビザの手続きやらであまり寂しさを実感する余裕がなかったように記憶している。
それでも、日本を発つ前の最後の夜に食卓に並んだカニクリームコロッケを見たら、心臓を針でつんつんと突かれたような、
ちくん、ちくん、と痛がゆかった。
「今日は別にお祝いする日じゃないじゃん」と笑いながらいうと
「頑張って夢を叶えたんだから、立派なお祝いでしょ。」
母の料理が上手だから、という言い訳で実家暮らしでめいいっぱい甘えていた私は、数えるほどしかキッチンに立ったことがない。
お米を炊くときでさえ、1カップが1合と知らなかった私が家を出る。
「ニューヨークってカニ売ってんのかな」
「ひとり暮らしじゃ絶対カニクリームコロッケなんてつくらないんだから変なこと言わないの」
「いただきます。」
さくっ、ふわっ、とろっ、じゅわっ、ちくんちくん、ほくほく、ちくり
向かいにはお父さん、左にはお母さん、すぐ真下には愛犬が食べ物をわけてくれと言わんばかりに狙って待ち構えている。
この日常が、明日からは日常じゃなくなる。
しかも、寂しくなったらすぐ会いに行ける距離じゃなくなる。
なんせ、遠い遠いニューヨークだ。
地球の反対側はブラジル、なんて言うけど、ニューヨークも負けちゃいない。
飛行機で12時間、空港までも遠いし、飛行機代だって何万とかかるし、
25歳がホームシックで留学中断なんて、ありえない話だろう。
応援してくれた職場も、見送ってくれた友人達もあきれかえってしまう。
何弱気になってるんだ、自分の足でしっかり立たなくちゃ。
それでも、あんなに大好きなカニクリームコロッケが、初めてほろりと苦かったのだ。
どろっ
ニューヨークの物価の高さに、さすがに自炊をしないと破産してしまうと危機感を覚え、慣れないなりにも料理を始めた。
留学生活、初めての晩ご飯は日本から持って行った素麺を茹でた。
どろっ
時間を計ったつもりがゆであがった素麺はどろどろの煮麺になってしまい、具なしでつゆに入れたら溶けて消えた。
ああ、帰りたい。25歳、最高齢かつ世界一早いホームシックかもしれない。
その後も悪戦苦闘の日々、料理ほぼ未経験がつくる料理はなにを作っても「どろっ」っといやな食感になるのだ、不思議なことに。
後日届いた段ボールのなかから、母のレシピノートがでてきた。
「電子レンジで簡単!」「これだけあれば作れるよ」
平野レミもびっくり、なんとも私のレベルに合わせた超初級編の簡単なメニューばかり。
もちろん、ノートのどこにもカニクリームコロッケのレシピは載っていなかった。
現に、スーパーでカニ売り場を探したこともないくらい、一日3食つくるのに必死で、勉強が忙しい時期はとにかく時間との勝負だった。
お肉だけ焼いて焼き肉のたれをかけて食べる自作どんぶりや、一度に4人前のミートソースをつくってご飯とスパゲッティ交互にのっけて数日間しのいだこともある。
母が見たら絶句するかな、育て方間違えたなんて思っちゃうかな、だからこの話はここだけの秘密にしておく。
ぽたぽた
それでもなんとか、季節はめぐり、ひとり暮らしにも慣れ、
26歳になった私はなんとかレパートリーを増やせるレベルにまでこつこつと成長した。
得意料理は、チャーハンなんて答えておこうかな。
そして、3月。
私の留学生活は大きく一変した。
例のウイルスのせいで、ニューヨークは世界でも飛び抜けて危険な状態に。
大学院は閉鎖、街はロックダウン。連日数字で見る死者数は、桁がすごすぎて実感がわかない。
留学生は母国への帰国が推奨されており、毎日寮から生徒達が出て行く姿を見ていた。
州内に家族がいる子達は家族の車が迎えに来て、山積みの段ボールや荷物を積んで颯爽といなくなってしまう。
私はというと、帰国するかを決められずにいた。
せっかくここまで来たんだ、帰ってたまるか。
昔から頑固で意地っ張りな性格が余計に自分を苦しめていた。
同じフロアの友人もしまいには半分以下になり、毎日家からでない生活。それでもせっかく手にした「ニューヨークに住む」という切符を、自分の手で手放すわけにはいかなかった。
悔しい、やるせない、悲しい、そんなどん底にいたなかで、とうとうニューヨークの状況が悪化していき、感染と隣り合わせになると身の危険を感じ、帰る決意をした。
ふがいない。まだ迷いは捨てきれず、予約した飛行機のチケットをできることなら破棄したかった。
母に帰国する旨を電話で告げると、
「パパと、カニクリームコロッケ作って待ってるよ」
絶望するほど悔しさと悲しみに明け暮れているなかで、脳内にほくほくのカニクリームコロッケを思い浮かべてしまった。
私ってなんて単純なんだろう。
ぽたぽたと我慢していた涙が一気に溢れて、
止まっていたパッキングの手が猛烈なスピードで動き始めた。
ここに残りたい、よりも、食べたいが勝った。人間ってこんなに単純なのだろうか。
記念日でもないのに、お祝いすることなんてなにもないのに、
私の帰りを待つ母は、どんな思いで作っていたのだろうか。
ほくほく
留学は終わっていないのに、家にいるのがとても不思議だった。
2週間の自主隔離生活初日のご飯は、もちろん約束通りのカニクリームコロッケ。
ほくほくの、やさしさの味だ。
私の生まれた日を毎年祝い、門出を祝い、いってらっしゃいを祝い、おかえりなさいを祝ってくれた、やさしさにふれたときにしか食べられない特別な一品だ。
感染対策のために自分の部屋の机で、ひとりで食べたけど、
それでも十分、ほっくほくのふわっふわだった。
家にいても母には近づかないようにしていたため、メールで「美味しかったよ、ご馳走様でした」と送る。
「よかった、明日何食べたい?」とすぐに返事が返ってくる。
またすっかり、これまでのひとり暮らしは嘘だったかのように、甘々で、26歳らしからぬ生活に逆戻り。
でも今ならわかる。
明日何食べたい?と聞いてくれるひとがいることは、尊くて、嬉しくて、泣けちゃうくらいに、やさしいのだ。
拝啓、わが家のカニクリームコロッケさま。
これからもあなたが登場してくれたら、このうえなく、うれしいです。
次の夢が叶った日も、結婚する日も、孫が生まれる日も、これから先もずっと、あなたがお祝いの食卓に登場してくれたら、と思います。
でも、なんでもない日の「おかえりなさい」であなたがいてくれたら、それはもっと、うれしいです。
料理はまだまだお母さんの足下にも及ばないけど、今度はレシピノートにちゃんと書いておいてね。
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