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わたしについて①幼少期編

誰にだってひとやふたつ『人には言いにくいこと』はあるはずだと思う。

なんでもかんでも話せるわけじゃない。

そう、わたしもそのひとりです。

わたしの幼少期は遡ることうん十年前…
わたしが生まれるより前から私の父は職が続かない人だったようで、常に貧乏でした。

そりゃあもうマンガに出てくるように貧乏で、わたしが小2の時に、父が営んでいた飲食店が潰れて住まうところも失いました。

当時、借金から逃げる為に父の里へ夜逃げ。 
逃げついたはいいが住まいは簡単に見つかるはずもなく、風が吹いたら飛びそうなボロ屋に住むことになりました。

当然ながらトイレは汲み取り。
それも便器はなく穴が空いてるだけ。
板が敷いてあるところに穴がぽっかり。

店が潰れる前に住んでいた家は賃貸ながらマンションで洋式だったので、カルチャーショック甚だしく。
しばらく怖くて排泄にも躊躇う始末でした。

水は井戸水、部屋はふたつ。
わたしは4人兄弟の長女で、父母いれて6人がそこで生活することになりました。

お風呂はありました(よかったー!)

ところがです。

井戸水が枯れたのです。
多分枯れたのだと思います(うろ覚え)
水が全く出なくなりました。

トイレは汲み取りなので水なしでオッケーですが、水がないと食事も作れないし風呂にも入れません。  

そこで無職の父は向かいの家に水を引かせてもらおうと考えました。水道を引っ張らせてもらうのです。
しかもホースで!

向かいの家に水分けてくださいと頼みにいくのに、1人じゃ弱いと父は思ったのか
わたしを連れて行きました。

すごく嫌でしたね。
当時4年生。わかる年齢です。

でもって父は私達子供と母に日常的に暴力を振るう人でしたので、逆らうことはできませんでした。

嫌でしたが暴力はもっと嫌。
一緒に水分けてくださいと頭を下げに行きました。

向かいの方は気味悪がるというか、ドン引きしてましたが、一緒に子供が頭下げにきているからか承諾してくれました。

一生忘れられない嫌な事は他にもいっぱいありますが、これが最初の嫌な事ですね。

ありがたいことに分けて頂き、我が家に水が手に入りましたが、次にもっと深刻な問題が出現します。

食糧がない。

前述にあるように、わたしの父は職が続かないダメ人間でしたので、家は常に貧乏。
ある日はたくわんだけ(それも人にもらったもの)
ついにそれすら無くなる日が来てしまいました。
当時の母はいつもこう言っていました。
『お母さんはもう食べたからあんたら食べなさい』

でも私にはわかっていました。
母は食べていなかった。

わたしはまだ小学生。
お金を得る事はできませんでしたので、実に辛く不安な気持ちで毎日過ごしていました。

そんな中、父親と母親が夜中いなくなります。
朝には野菜がたくさん家にある。

買うお金はない。

そう。
近所の畑に盗みに行っていたのです。

長くなりますので続きはまた。

一応お伝えしますが、全て真実です…

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