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他人の人生を貸りて生きている

私は学生時代のアルバイトからずっと教育業界で仕事をしている。講師、プランナーとして提案営業、教室運営などの仕事をしてきた。

私が教育業界で仕事をするきっかけになったのは、中学生の時に出会った国語の先生だ。
彼女は当時通っていた進学塾の先生だった。歳は多分40前後、スラッと背が高くて、エルグランドを乗り回し、怒ると物凄く怖くて、だけど顔全体で豪快に笑う女性。

正直受験対策で習ったことはほとんど覚えていない。
一つ一つの文章にとにかく時間をかけて向き合うので、話が脱線したり、問題を解き進める時間を削って討論が行われたりしていた。だから授業進度はしょっちゅう遅れたし、殴り書きの黒板の字はお世辞にもきれいとは言えなかった。

だけど、私は彼女の授業が大好きだった。扱った文章をきっかけに彼女が話す私の知らない文学、歴史上の出来事、彼女の所感など、彼女の言葉で自分の世界が広がっていくように感じていた。

私が彼女から教わったことで唯一覚えているのは、「自分の選んだ答えに責任を持ちなさい」ということだ。
記号問題の答え合わせをする時、指名した生徒が言った答えが正解だろうが不正解だろうが、「なぜそれを選んだのか」を答えられないことを彼女は許さなかった。
「なんとなく」なんて以ての外、「消去法で」ならなぜそれ以外の選択肢が消去できたのか、必ず説明させられた。
厳しい指導だったけど、正解でも不正解でもそこに行き着いた私たちの考えを必ず聞いてくれた。子どもとしての甘えを許さない分、生徒を一人の人間として扱ってくれている、向き合ってくれている、と感じた。
彼女のやり方が進学塾の授業として正解だったかと問われれば分からないけど、少なくとも私は国語が好きになったし、(学力別で分けられたクラスの最上位クラスである)彼女の授業を受けたくて成績を着実に伸ばしていった。
私にとって彼女は「先生」というよりも、「魅力的な面白い大人」だったのだと思う。

彼女は私の憧れの女性だった。もっとずっと早く生まれて、この人と対等な立場で付き合える存在に、友達になれたらどんなに楽しかっただろうと何度も夢想した。

だから、大学生になって、その進学塾でのアルバイトに誘われた時、彼女と同じ職場に居られるということだけで私は「先生」になることを選んだ。
子どもはそれなりに好きだったけど、子どもにかかわる仕事がしたい思ったことは一度もなかった。
だけど私は先生になった。

それから約7年が経った。今でも私は先生と呼ばれる仕事をしている。
私は何で先生の仕事をしているのだろう。
大人になった私は、先生になったところで私が憧れていた彼女になれるわけではないことを分かっている。
惰性で働いているつもりはないし、自分の抱えている生徒たちのことはとても可愛いし、生徒たちの成長に関わり、間近で見ることができることにやり甲斐も感じている。
先生の仕事をしている自分のことも好きだ。

ここで私が考えたいのは、何故子どもたちの成長に関わることにやり甲斐を感じているのか、先生の仕事をしている自分のことは好きでいられるのか、ということだ。

私は自分の人生に正面から向き合って、一生懸命になることを避けているのかもしれない。
自分がこれから生きていく世の中のことがある程度見え始めた頃から、私は本気で夢を見たことも目標を立てたこともない。
夢を見て、全力投球して、敗れて傷付くことを避けきた。

たとえば、大学受験でも、「こんな勉強がしたい」という希望はあったけど、絶対にいい大学に入ってやる!と考えたことはなかった。
学校に早稲田を目指そうと言われたから、早稲田に入ることができたら両親が誇らしいに違いないと思ったから、そこに向けて勉強した。

学生時代には、インディーズバンドに傾倒して、お金も時間もつぎ込めるだけつぎ込んで、地方遠征をして回った。
それも、たったそれだけの代償を支払えば、夢を叶えたり夢に破れたりする、がむしゃらできらきらした瞬間の疑似体験ができるから。

人生の分岐点になりうる瞬間、時間に、私は自分のために一生懸命にならなかった。
誰かのためという言い訳に逃げて、RPGでの経験を自分のもののように錯覚していた。
本当に自分が何をしたいのかと向き合わなかったから、トラウマになるほど傷つくことはなかったけど、自分の人生を豊かにしたであろうものを私は全て置き去りにしてきた。

先生でいることにも同じことが言えるのではないか。
私が頭をフル回転させて、目標達成までの道のりを立てて、壁にぶつかっても気持ちを鼓舞してまた立ち向かっていくのは、他人の人生だ。
先生の仕事をしている自分が好きなのは、一生懸命人生に挑んでいる感覚を子どもたちや保護者の方々と共有させてもらえるからだろう。
そんな自分が好きだなんて、卑怯じゃないだろうか。

自分のために真剣になると、真剣になったものに裏切られた時、傷を負う責任が生じる。
私はその責任から逃れて、人の人生を貸りて、一生懸命になった夢に破れたり、目標達成した喜びを味わったりする体験をさせてもらっていたんだと思う。
人生をなめくさった所業だ。

誰かのために頑張れることを美徳として評価してくれる人もいるし、実は私自身も、(私に様々な人生を貸してくれた人達に、多大な感謝と少しの罪悪感を感じることはあれど)ここまでの人生を否定するつもりはない。私のこの生き方が誰かのためになったことも数多くあるから。

だけどいつかこのツケは払わなければいけないだろうと思う。
今の私は、大きな成功もない代わりに大きな失敗もなく、平坦で安全な道を歩めるかもしれない。
だけど、中学生の私が憧れた「魅力的な面白い大人」には永遠になれないだろう。

私は大人ではあるけれど、まだ身動きが取りずらいほど老いてはいない。寧ろまだ若い。
だけど、その時間も決して長くはないだろう。

環境が許す限りは先生の仕事を続けていきたいとは思うけれど、子どもたちに依存するのではなく、どんな先生にこれからなっていきたいのか考えなければいけない。
仕事以外の時間を自分のために自由に使えるうちに、勉強でも遊びでもいいから打ち込んで、なりたいものを見つけなければならない。

これからの自分の人生をどう使うかを切実に考えて、「自分の選んだ答えに責任を持ちなさい」と自分を叱りつけていこう。

「魅力的な面白い大人」に憧れていた、と言う言い方に逃げるのはやめよう。
今更「魅力的な面白い大人」に憧れている、それが今の自分だと受け入れるところから始めようと思う。

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