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コーチング応用Bコースを終えて今感じること

少しずつ、当時の感情と向きあっている。高校生当時、悲しみに全てが飲み込まれてしまいそうで、それに抗うことに必死だった。私は不幸せなんかじゃない、可哀想なんかじゃない、そう誰かに証明するかのように何事もないフリをしたし、全てに必死だった。悲しみを見て見ぬフリをして、全て無かったかのように振る舞った。その分、必死でない人全力でない人に腹が立ったし、強く否定をしていた。そんな人を拒絶していた。いつも怒りに満ちていた。ひどくキツイ性格だったと思う。頑張っていないのに何故か幸せそうで毎日楽しそうな同級生が羨ましかった、負けたくなかった。絶対にその子たちよりも幸せになりたかった。(ありのままを書こうとしているため強い表現になっているがみんなのことを拒絶していたわけではない。大好きな親友、生涯の仲間ができたのも事実。)

当時10代の私にとって幸せに近づく方法は、”良い成績を取ること””人よりもいい大学に行くこと””部活でレギュラーに選ばれること””バレエのオーディションで選ばれること”そんな風に誰かに勝つことだった。それ以外の幸せに近づく方法を知らなかった。必死だった。叶わなかったこともあるが多くのことは叶った。ただ、それで私は幸せになれたのか、と問われるとYESとは言い切れない。幸せになれなかったとも思わないけれど、いつもどこか満たされない自分がいた。

そんな10代後半からだと思う、思い返すとその頃から平気じゃないのに平気なふりをすることがひどく上手くなった。強くないのに、強いふりをして、悲しいことなんてなかったかのように笑った。人の顔色に敏感になったのもその頃からだと思う。そんなことを続けていくうちに、嫌だと思うことを人に伝えることが難しくなった。嫌だと思う、悲しいと思う自分がいけないような気がした。彼らには彼らの事情があり、悪気があったわけではないのだ、とどんなに理不尽なことをされても思うようになった。(正確には当時はそれが理不尽なことだという認識すらなかった。)彼らなりの”理由があったのだ”と、仕方のないことだったのだと自分に言い聞かせるようになった。

そんな風に過ごしていたがいろんな経験を経た今、相手にも確かに理由はあったのかもしれないが、自分が嫌だと思ったこと、悲しいと思ったことは伝えてもいいのだと思うようになった。そして大きな変化は、それを伝えたいと思うようになったことだ。伝えたとしてもそれを受け止めてくれる人がいることを知った。そこから深まる関係性の心地の良さも知った。

そんな考え方の変化を経て、今は当時無かったことにした悲しみと向き合うことをしている。15年以上経った今なら当時の悲しみと向き合うことができるような気がしている。そして、当時の無かったことにした悲しみと向き合い、それを認めることができたのならそこからまた心地のいい方へと進めるような気がしている。

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