ショートドラマ|このお酒は純米酒
秋の夕暮れ、私は幼なじみの真由と久しぶりに会う約束をしていた。彼女とは小学校からの仲で、互いに忙しくなるにつれ自然と疎遠になっていたが、今夜だけは昔のように二人で語り合おうと決めていた。
約束の場所は、地元にある小さな居酒屋「山桜」。店は古びた木造建てで、灯籠のようなやわらかな明かりが外に漏れている。暖簾をくぐると、店内は和風の静かな雰囲気で、奥から日本酒の香りが漂ってくる。
「久しぶりだね」と真由が微笑む。彼女は相変わらず、昔と変わらない優しい顔つきだ。私はすぐに昔の思い出がよみがえり、まるで時間が逆戻りしたような気分に包まれた。
「本当だよ。こうしてまた二人で飲むなんて、夢みたいだね」と私は笑いながら返す。
席につくと、若い店主が静かに歩み寄ってきた。「何をお召し上がりになりますか?最初はお約束のビールかな?」と笑顔で訊ねられ、今日は喉も乾いてないので手のひらで店主の言葉を冗談で遮り、迷いもなく「この日本酒の、純米酒をお願いします」と注文した。小さな居酒屋ながら、この店では地域のこだわりの酒が楽しめると聞いていたからだ。
しばらくすると、店主が酒を注いだガラスの徳利とお猪口を二つそっと置いた。澄んだ日本酒が薄いガラスの器に輝き、私たちの間に置かれた。「じゃあ、乾杯しよう」と真由が声をかけ、お互いに軽く杯を合わせた。
一口飲むと、ふわっと米の香りが口の中に広がった。思ったよりもすっきりとした味わいで、舌の上を滑るように消えていく。次第に、米の甘みとまろやかな酸味が絶妙に調和していることに気づいた。「これ、すごく飲みやすいね」と真由が驚いたように言う。「うん、純米酒ってもっと重たいと思ってたけど、これなら何杯でもいけそうだね」と私も笑顔を見せた。
私たちは、いつの間にか昔話に花を咲かせていた。小学校の頃、学校帰りに一緒に寄り道していたこと、真由が高校時代に部活で怪我をした時、私が彼女をおんぶして家まで連れて帰ったこと。笑いながら語り合ううちに、お酒もどんどん進んだ。
ふと、真由がしんみりとした顔をして言った。「ねえ、私、実は今、転職しようと思ってるんだ。」
「え?」私は驚いた。彼女は長年勤めていた会社で出世コースを歩んでいたはずだ。
「もう、疲れちゃったんだよ。毎日同じことの繰り返しで、本当にこれでいいのかなって悩むことが増えてさ。最近は、自分が何のために働いてるのかも分からなくなってきたんだよね。」
彼女の言葉に私は胸が締めつけられた。真由はいつも強くて、自分の道を迷わず進んでいると思っていた。しかし、彼女もまた、日々の中で苦しんでいたのだと気づかされた。
「でもね、今夜こうして昔みたいに話してると、不思議と少し気が楽になるんだよ」と彼女は笑顔を見せた。「昔に戻れるわけじゃないけど、こういう時間って大切だなって思う。」
私は彼女に何か言おうとしたが、言葉が見つからなかった。だから、もう一度お酒を注いで、彼女に差し出した。「真由、アンタがどんな道を選んでも、私はいつだって応援するよ。昔も今も変わらないから。」
「ありがとう」と彼女は私の言葉を聞き、静かに杯を持ち上げた。
その後も、私たちは何度も乾杯を繰り返し、話は尽きることがなかった。「このお酒」が私たちの間で途切れることなく注がれるたび、少しずつ心の中の重たいものが解けていくのを感じた。
外に出ると、夜風が冷たく、季節が確実に移り変わっていることを感じた。真由と肩を並べて歩きながら、私はこの夜が一生忘れられない思い出になるだろうと確信した。
「また会おうね」と言い残して、真由は別れ際に手を振った。私はその後ろ姿を見送りながら、もう一度「このお酒」の余韻を感じた。
米の香り、まろやかな甘み、そして心をほどいてくれる優しい味わい。まるで、私たちの友情そのものが詰まったような一品だった。
それは、ただの酒ではなく、忘れていた大切な記憶を呼び覚ましてくれる存在だったのだ。