見出し画像

映画『Kill your friends』とフリーダ・サンデモ

蓮の根は汚い泥の中から生まれてるが、その花は無垢の色で、湖上で花咲く。

© comemo148177230

映画『マッドドライヴ』を観た。誰もが○○(クズな)映画だと思うに違いない。

『マッドマックス〜怒りのデス・ロード』で脚光を浴びている主演のサイモン・ハリスの注目度にあやかった邦題のようだが、映画の原作や原題であるジョン・ニーブのタイトル名『Kill your friends』を知らないと、この映画の真意は読み取りにくい。映画『トレインスポッティング』や90年代の英国音楽シーン(Britpop)を懐古した音楽業界モノのブラックコメディだとしか思われかねないだろう。

鍵となるのは、この映画ではあえて目立たないよう配置されたアーティストにある。本作品中には、前評判の高い架空のインディーズバンド「レイジーズ」が登場するが、ボーカル役は実在するスウェーデン人女性アーティスト、フリーダ・サンデモである。80年代、90年代の英国エレクロトポップスに多大な影響を受けたに違いない彼女自身の曲がライブハウスで流れた時、レコード会社のアーティスト発掘担当である主人公のスティーブンは迂闊にもその音楽性に触れて、うろたえてしまう。頭の中で音楽をビジネスにしている奴にどんな音楽が好きかなんて尋ねるのはおかしい。そんなのは投資家にどんな銘柄の株が好きですか?って聞くのと同じで意味はない。Profitable(利益が生まれやすい)なものに価値があるのであって、音楽そのものへの趣味と仕事は関係がないだろ、と嘯いたその直後のシーンなのである。

https://www.youtube.com/watch?v=0oaR_buyHsA

彼女(フリーダ・サンデモ)のステージでの仕草やヴォーカルアクトは彼女自身あるいは監督のノスタルジーを強く表している。同年代の私もホロリときてしまった。 つまり、この映画は「スタイル・カウンシルのポール・ウェラーの才能を小馬鹿にした同僚の友人を殺してしまうほど音楽にこだわりがあるにも関わらず、自分のアイデンティティがいつの頃からか音楽業界の中でのポジショニングでしかなくなくなった人間の悲喜劇」なのである。その打開策が友人を殺すという破滅的な方法で、その破綻を防ぐ様がストーリーとなっているのである。この自己中心的な主人公の身勝手な振る舞いが連続する映画の救いは、主人公スティーブンが毛嫌いするインディー系バンドのささやかな成功である。つまり彼女の活躍と賞賛はそれまでに多大な努力をしたA&Rの人間への手向けの花になっているのである。そもそも音楽業界人がどうして聖人である必要があろうか?無論ミュージシャンですら善人である必要はない。ただただ素晴らしい音楽を世に生み出してくれればそれで良いのである。

https://youtu.be/63rYzpBlGgU

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?