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私の家は私の意図で満ちている。
通勤電車や通勤の道は私の思考が1秒でできる
どうでもいいからだ
ただ歩いて目的地につくこと以外、切り捨てられるから。
シンプルな時間なんだ
でも、家は違う
私の家は私の意図で満ちている。
すぐに掃除がしやすくなるため物の配置、お風呂に億劫なく入るために空けた導線、何も考えずくつろぐための物で侵してはならないスペースが、
私の意図によって決められている
それが逆に窮屈というか、
わたしに決まった行動を促している
家にいるときのわたしの配置、角度、過ごし方はパターン化されていて、
作業するためのスペースや、温度や明るさは、ただ何も考えず食事とYouTubeを楽しむためのわたしの角度は、あらかた限定されている
だからたまに、いつもの行動パターンでは留まることのない方角を見てじっとしたり、
意図して抜け出さないと見られない天井をまじまじ眺めたり、
お風呂上がりで急いで体を拭く前に、不自然なところで止まってみたり
機械にあえて接触不良を起こさせて、わたしの内部の様子を見る
そうすると、
世界が180度違って見える
わたしは自由なんだと、
今この場で、誰にも連絡せず九州の島に突然向かっても、
通学路でも普段でも通りようのないただの住宅街を目的地に歩き始めても、
突然仕事辞めて近所のコンビニでバイトしても、
小さなアパートの部屋いっぱいにウォールアートを退去時まで隠し通しても、
健康的な食事全部捨てて夜マック爆買いしたり、深夜にピザデリバリーしたり、
次の日突然プールで泳ぎ出しても、
なにもかもわたしの自由なんだと感じさせる。
そう思いながら、
いつもの食物繊維は手に取らずに、200円するちっちゃいハーゲンダッツとかぼちゃプリンを、2つ買って帰った
もっと枠に嵌らない日々を、
ヘンテコで自由に、とっぴょうしもない時間を試してみたい
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