ライイング・メッセージ
オリジナルをやる固定メンバーのバンドをパーマネントと呼ぶのが好きだ。
せいぜい音楽には、変わりゆくものを「ずっと変わらないよ」って見え見えな嘘をつくくらいの役割しかないってよくわかる。
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不自由のない不自由、みたいなくだらないオクシモロンで生活を飾ったところで何も前には進まない。
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駐輪場に灰色のベルが落ちていた。鳴くことだけが生きる意味なのに、放り出された時に自分で鳴けないのはとても悲しいなと思う。
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確かめたいことがたくさんある。時間が経てばいつかわかることだけど、そんな頃には価値がなくなっていることだ。今、目先の欲に負けてひとたび確かめれば、それが全部ダメになるとわかっている。
世界が速くなっているからか、僕の生活が見晴らしよくだらけているからかわからないけれど、年々時間に対する忍耐力が衰えているような気もする。
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画面に触れてシークバーの位置を確認するように、読書している時一々本の底を見て紙の束がどんな形の谷を描いているか確認するようになってしまった。
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急性副鼻腔炎に罹った。目の下はぬるい焼印を押し付けられたように、奥歯はゆらゆら揺れるように痛んで、だるさですべての動作が億劫になる。頭にゴミが溜まると全部がダメになるのは、とても理にかなっている。
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『1973年のピンボール』を読んで、家の近くのゲーセンにピンボールをやりに行った。僕は自分のこういう節操のなさが好きだ。小学生の頃に『三日間の幸福』を読んで、この本を薦めてくれた瞳の大きな女の子と自動販売機巡りをしていた頃から何も変わっちゃいない。
こうやって村上春樹を泥水で100倍希釈したようなうざったい文章を書いて公開することになんの意味があるだろうか?
大学の片隅にある古い建物の一室で調子の狂ったベースの音を響かせることになんの意味があるだろうか?
我に返ることから逃げるために、コインを入れてボールを弾いて偽物の光を眺めていた。
存在している意味について深く考えるべきものは原爆くらいでいい。
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北7西5のヨドバシの交差点から北8西5のセコマの交差点にかけて、信号が絶対どっちかで足止めされるように時間設定されてるの最悪すぎる。どうにかしてほしい。
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