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MD2022NAHA:04 粂村竹籬(くめむらちくり)

MD2022NAHA:04 粂村竹籬(くめむらちくり)

2022年10月29日に行われるミッションデー那覇・浦添。
このnoteでは地元AGが協力し、それぞれのミッションのご紹介をしていきます。



今回ご紹介するミッションは「粂村竹籬
(くめむらちくり)」です。
葛飾北斎が描いた琉球の風景。
その「琉球八景」の一つです。

現在の那覇市久米にあった、中国人街の風景です。竹籬(ちくり)とは竹の垣根のことです。

14世紀に、久米三十六姓と呼ばれた中国人集団が福建省から琉球に渡り、那覇の久米村に学者や航海士などの技術者集団が定住して、琉球と中国との交易に大いに貢献し琉球王朝は栄えました。


こちらのミッションはAny orderなのでどちらからスタートしても大丈夫なのですが、今回は泉崎(国道58 号線側)からスタートします。

まずは一つ目のポータル「Historic Sites Kumemura」
久米村周辺の史跡・旧跡を表した石碑です。


お次は「天久宮跡」
那覇市立天妃小学校の横に、石碑と門がひっそりあります。

3つ目のポータルは「米国民政府跡」
天妃小学校から上山中学校へ向けて歩きます。

4つ目のポータルは「孔子廟(至聖廟)
(しせいびょう)」
日本最南端にある孔子を祀っている霊廟のことです。他に四配(顔子、子思〈孔伋〉、曾子、孟子)の像が祀られています。

5つ目は「福洲園のシーサー」

福洲園とは、中国福建省福州市と那覇市の友好都市締結10周年と、 那覇市市制70周年を記念して、1992年に開園した、福州式庭園を忠実に再現しています。

6つ目は「東恩納寛量・宮城長順の顕彰碑」
道を渡り松山公園内に入っていくと、顕彰碑が見えてきます、沖縄発祥の空手を広めた二人の功績を讃えて建てられました。東恩納寛量は「那覇手」の祖といわれ、明治期を代表する空手家(当時は唐手と書く)です。
剛柔流の開祖である宮城長順の師で、顕彰碑には並んで名前が刻銘されています。

7つ目「Cateripillar」
松山公園の広場へ歩くすぐにあります。

8つ目「袋中上人行化碑(たいちゅうしょうにんぎょうげひ)」
松山公園の広場から、奥の県立那覇商業学校側へ歩くすぐにあります。
浄土宗の僧、袋中上人が縁あって来琉。法然上人念仏の教えを広め、故郷・若城(福島県)の「じゃんがら念仏」を普及、現在沖縄の伝統芸能「エイサー」となりました。

9つ目「白梅の乙女たち」

松山公園の広場から、福州園側へ歩き階段を下るとあります。
白梅学徒隊(看護隊)は 県立第二高等女学校の最上級生(4年生)で編成されたそうです。
沖縄師範学校女子部と沖縄 県立第一高等女学校の教師・生徒で構成されたひめゆり学徒隊は有名ですが、松山公園の敷地内には県立第二高等女学校があったそうです。

最後のポータルは「久米村発祥地記念碑」
松山公園をでるとあります。



以上が粂村竹籬(くめむらちくり)のコースになります。


「久米村発祥地記念碑」付近にはいくつか飲食店がありますが、おすすめは、バーガー喫茶(バーガー喫茶 昼さがり)さんと日本そば(みつまる)さん(沖縄そばに飽きてしまったら)です。
是非休憩がてらにお食事も。

↑限定15食で大盛りもできます。↑


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