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読書感想 瑞々しい思考

最近、noteでアウトプットする時間がもてなくて、モヤモヤ。
私のアウトプットがnoteくらいしかないので、今文字を打てているのがとてもありがたい。あとは、面倒くさい話を聞いてくれるパートナーに向けて壁打ちをするくらいか。(パートナーには感謝!)

さて、今日も読書感想をまとめていきたい。さあ呼吸の吐く作業をやっていくぞ!

書籍は、「自分のアタマで考えよう ちきりん著」です。
超人気社会はブロガーのちきりんさんの4つくらいシリーズもので出しているうちの1冊を読んでの感想をまとめる。

思ったことは、「どうやら我々人間は、知識に引っ張られて、思考しがち生き物なんだということを自覚しなければならない。むしろ、それを思考すると言ってもよいものなのか。ゼロベースで考える癖をつける必要があるのだ」

ということである。

知識というのは、「自分が記憶している事柄を網羅的に繋げて格納されているフィールド」とする。

思考というのは、「目の前に起きている(映っている)現象の解決方法を考えたり、考えてみたい欲求に従って考えを進めたりする行為」とする。

完全に私なりの言葉であるので、語弊や稚拙な表現はご容赦いただきたい。

知識と思考を切り離しましょう!ということに私も同意します。

とはいえ、知識は道具、思考は運航だとしたら、運航するために道具って必要じゃん。って考えますよね。普通。

よく言われる(勝手に私が耳にする)「何もないところからは何も考えられない」というのは、まずは知識を得てから、思考しましょう。ということと類似していると考える。

しかしながら、思考するってのは、知識に引っ張られてしまい、見えているもの(映っているもの)をぼかしてしまう危険性がある。
写真で例えるなら、ピントを合わせるのが「知識」を使うことで、周りの背景をぼかしてしまう。
ピントを合わせることを外す、つまり「知識」を使わないで写真を撮ると、周りの背景も全て解像度で見えてくる。

知識に脳をハックされると、その知識の良いように私たちの脳もコントロールされるのだ。

間違いなく、知識がないとこの世の中生きていけない。

最近お金の勉強をしているが、身を守るのは「お金の知識だ」と両学長は話していた。笑

しかしながら、良質な思考をするためには、一旦知識と切り離してゼロベースで思考してみるクセをつけておくことが重要であると痛感した。

まだ見ぬ私の思考を、この脳がどこまで連れていってくれるか。そのヒントは、「ZERO」なのかもしれない。

昨日の夜、子どもが「小数の割り算」ってどうやるの〜?できるようになりたい〜!と言ってきた。
どうして寝る直前に考えたくなってんのよ〜と思ったが、少々付き合ってみた。

どうにかこうにか試行錯誤して、答えを出すことができた。
考え方は、我々が知っているような割り算の筆算ではない。
何とかいろいろ分解しながら、図に表しながら、少しずつ少しずつ解に近づいていった。そして、答えを出せたとき、超大喜び。

子どもが考えた方法はもうぐちゃぐちゃで、
今後の学校で教えてもらう方法に役立つとは思えない。

きっと汎用性はないだろう。

しかし、考え方に瑞々しさを感じた。

私も、思考することに瑞々しさを持てるようにしたい。

子どもの肌は瑞々しく、もっちり。
私の肌はカッサカサで、ひび割れ。泣

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