CusocodeCaptorサクラ

21世紀のある日、人類は自分達がおびただしくもうごめくクソコードの上に立っていることに気付いた。基礎から丁寧に細かく確かなコードをコンクリートのように敷き詰めたつもりが、ところどころぐにゃぐにゃし、意思を持ったように動き回り、もろかった。

世界で最も売れてるペンの軸先の材料が練り固めたニトログリセリンだったようなものだろうか。プログラマーの間でなんの気無しに使われていたツールにとんでもないセキュリティホールが存在していた。世界中に散らばる30億ものデバイス、その内いくつかは、ひょっとすると謎のルーマニア人とか、タスマニア人とか、誠実な中国人とかの気分次第でめちゃくちゃに動かされるかもしれなかったのだ。

全プログラマが驚いた。その世界一売れているペンは「オープン」で無料だった、つまり、常に「全プログラマ」が監視しているはずのものだったからだ。「オープン」であれば材料から作り方まで丸わかりで、無料なので誰でも手に入れられる。しかし、実際のところ、ペン程度のシンプルなツールの材料や作り方には誰も興味を示さなかったのだ。

しかし、一体なぜ?なぜこんな事に?そう誰にでもなく問いかけ俯くと、クソコードで固められた地面がゆっくりとうごめいているのに気付いたのだ。

そして、そんな事はとっくに分かっていた当局は、脆弱性を報告する先を間違えた党員を排除した。彼は、若すぎた。

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IT後進国日本、今にも首になりそうな氷河期世代フリーランスプログラマは、首の皮一枚で社会と繋がっていた。圧倒的孤独、存在感のない所得。ろくな趣味もなく伴侶もいない。その日は裏日本海岸で釣り糸を垂らしていた。やる事もないので毎日こうしているが何かが釣れた試しがなく、釣りと呼べるかは甚だ疑問だった。この中年にとって海は魚がいるかも分からない水溜りで、彼の社会性より強靭な糸だけが風に揺られて青黒い水溜りの上を滑っていた。

平日と今日以外の休日はクソみたいなコードを書かされていた。あるいは自ら望んでクソコードを書き続けていた。そのどちらでも構わなかった。どうあっても様々な事情でクソコードは生まれる。その時は必ず自分を通るように出来ている。ベジタリアンの腸壁みたいに、大量の食物繊維に押されて大量の糞が流れていくのを、ただただ蠕動しながら見守るしかなかった。それが中年のしてきたことのすべてで、その行為の連続こそが正しく中年自身の事だった。

この日だけは釣果があった。釣れたのは中国人だった。釣り竿で釣ったわけではないが海を漂っている人影を見かけ、慌てて引き上げたのだ。日本語ではない言語を喋っていたが、中国人のいる現場を多く経験しているので、それが中国語であることを理解した。拙い英語でやり取りしながら、中国人はプログラマである事、ペン先のニトログリセリンを告発した張本人である事、そして、日本政府に亡命する事を聞き出した。その前に、暖を取ったほうがいいだろう。ひとまず家にあげることにした。

「警察は、だめだ。救急車もだめ。デジタル省に話をつける。」
家に上げるなり、なかなかこなれた日本語で喋りだしたので中年は驚いた。
「あなたが英語で話しかけてきたから。」
日本に漂流したことすら分からなかったようだった。
「日本に着いたのは都合いい。日本はIT後進国、クソコード先進国だ。」
若者は中年の職業を聞いていたが、めちゃくちゃに煽ってきた。
「クソコードで出来た世界で、自由に泳げるのはクソコードに住む人だけ。当局に対抗できるのは、日本だけ。戦争が、クソコードを介して始まる。」
そして、若者はゆっくりと語り始めた。この世界を取り巻くクソコードを。脆弱性の海のことを。そして、当局の計画を。

「ノアのクソ方舟」は、当局IT関連人材、つまりギーク共の間で付けられた俗称だ。汎用性のあるツールを最高速度で大量生産し、プログラマとして派遣された党員が人海戦術でデファクトスタンダードにする。そこに脆弱性を忍ばせて、それを自分だけが利用できるようにする。このディジタル化された世界、クソコードの大海原で唯一人だけ大船に乗った様な心持ちでいられるといった代物だった。馬鹿げた冗談にしか聞こえないので誰も正式な作戦名を知らなかった。

通常は「レビュー」や「テスト」といったコードを点検する仕組みで脆弱性は塞がれてしまう。ただ組織運営には穴があり、炎上やデスマーチの最中においては「レビュー」や「テスト」は行われないか、まともに機能しない。

では、炎上を産むのは何か?「クソコード」だ。「クソコード」は常に焦げ臭く、デスマーチと共にある。巧妙な「クソコード」を産むものこそ、このディジタル社会を支配するのだ。

もちろん、炎上が「クソコード」を産むというケースもある。設計が悪い場合だ。トイレが10室ある設計図に従えば、大工が優秀でも変な家が出来る。では、設計が良ければ如何に「クソコード」といえど、炎上は起こせないのだろうか?そんなことはない。設計図上でまっすぐ引かれた線でも、乾燥させていない木材で作れば、完成して数ヶ月で(きちんと)曲がりくねり、壁の塗装には不愉快な亀裂が走る。設計書に従いつつも冗長で全く分割されていないクソコードは、仕様変更の度に少しずつ歪み、いずれ脆弱性を産むのだ。

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「だから、あなたのようなクソコードが細胞に組み込まれた人夫が必要だ。クソコードに応ずる、解読者が。」

中年は体が熱くなった。涙が溢れた。20年来の非生産性の生産が、妥協と惰性が、生理食塩水となって目から噴き出したのだ。怒りか喜びか分からなかった。喜怒哀楽のすべてだった。全開の感情弁で、ディジタル省の通報窓口に事の顛末を話し、厚生労働省が推奨する病院の心療内科を紹介された。彼は既に通っていたので、代わりにありったけのトランキライザーを服用した。彼は超越し、生きたクソコードそのものと成り果てた。彼こそはクソコードの銀河で、クソコードの醸し出す匂い、色合い、風味を敏感に感じ取る器官が露出していた。体表を覆う粘膜はすべてのコードを咀嚼し、クソである部分を消化吸収して自分の一部にすることができた。彼はクソコードであり、また、クソコードにて生き、クソコードを排泄し続ける第二種永久機関だ。

若者と年季の入ったクソコードそのものは、道に出た。ホウキのチリを払い、肩に掛け、夕日を探した。そっちの方に中国があるに違いなかった。彼の地は悪意にまみれたクソコードにまみれている。馴染みのある、コミュニケーションエラーから生まれた意志のないクソコードではないのだ。古巣を捨て、クソコードそのものは船となった。これで真っ赤な日本海を渡るのだ。

若者は、うやうやしく帆を張った。

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