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5月1日

某県公立高等学校の教員の、ももんがです。

さて、本日は5月1日です。この日は私にとってはとても重要な日です。
もう29年前の5月1日に起こったことが、いまだに衝撃をもって、そして諦められない想いを抱かせています。

「29年前の5月1日」で分かった方もいるかもしれません。もう少しヒントをいうと、サンマリノGP、F1、タンブレロ、悪夢の週末…。これでわかりますか?

答えは「アイルトンセナ選手のレース中の事故死」です。

29年前のサンマリノGPでは3日間のグランプリ期間中、それまでのレースでは見られないようなクラッシュやそれによるドライバーの負傷が続きました。そしてローランド・ラッツェンバーガー選手が、予選中にクラッシュしそのまま亡くなった。

本来であれば、レース中に事故死があった場合、レース進行は中止しなければいけないようだったが、あくまでトラック上で亡くなったのではなく、病院に搬送されて亡くなったことにして、レース進行は中止されませんでした。

ただラッツェンバーガー選手が亡くなった事実から、他のドライバーの精神状況を考えれば、FIAは大きな判断をするべきだったかもしれません。

なぜなら、レース期間中のドライバの死亡事故は12年間起こっていなかったからです。

そして、さまざまなドライバやチームスタッフの想いが渦巻きながら、決勝がスタートしました。しかしレースがスタートした直後、エンジンストールしたマシンに後方からスタートしたマシンが接触、大破し弾き飛ばされたマシンの部品で、観客やマーシャルが怪我をしました。

このようなスタート直後の大きな事故の場合、赤旗中断・再スタートされる手順が一般的だったのですが、セーフティカーの導入をして低速でのレース続行が行われたのです。

そうして、事故処理をセーフティカー導入中に行われ、再スタートしたのち、アイルトンセナ選手は、トップを走行中にタンブレロコーナで右側の壁に吸い込まれるようにいってしまったのです。

詳しい内容や動画、静止画は、それぞれ調べてみてほしいのですが、それまで何年かF1を見ていた私とっては、見たことがない状況でした。

そして、病院で亡くなった後、母国ブラジルに帰国した時のブラジル国民の様子をTVで見た時、現在の日本では見れない状況だと思いました。セナ選手の葬儀は「国葬」でした。全国民が喪に服したのです。

私にとって憧れだったのですが、喪失感は大きすぎました。その後アイルトンセナ選手に関する書籍が販売されるたびに、お小遣いの許す範囲で購入し、セナ選手のレースの活躍などを反芻したものです。

サンマリノGP決勝でセナ選手が乗っていたマシンの中には、オーストリア国旗があったそうだ。前日の予選で事故死したローランド選手のために、決勝レースが終わった後、敬意を表して掲げるためだと思われたそうだ。
こんなに相手のことを思える選手が亡くなったことに再度衝撃を受けてしまった。

アイドルが亡くなって、後追いするファンがいると聞いたことがあったが、その心理が理解できた。ただ、それで後追いしたところで、その相手が喜ぶとは思えないと少しだけ思ったので、私は後追いはしなかった。

そんなわけで、私にとっては5月1日は喪に服す日にしています。


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