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いつでも帰れる、安心できる場所ができた~高校生の訪問記

2024年3月に、約3週間滞在して下さった高校生の、ミンダナオ子ども図書館訪問記です。

私がMCLを初めて知ったのは、学校のボランティア活動でした。高校の先生がMCLを見つけてくださり、文化祭で文房具を集めて寄付をしました。そして、数か月後にこの活動を校外で発表をするイベントがあり、その際にスタッフのななこさんに講演会をしてもらったことが、私がMCLを訪問することを決めたきっかけです。ななこさんが輝いた目で語るMCL内での共同生活、子どもたちの可愛すぎる笑顔、教科書の中でしか見たことがないような貧困問題が実際に起きているミンダナオ島の現状を見て、MCLを訪問して日本と違う世界を見てみたいという強い思いを持ちました。その日、家に帰り、すぐにお母さんに「ここに行きたい!」と宣言したことを覚えています笑。そして、高校3年生になる前に、3月の後半から4月の前半までの3週間、念願のMCLを訪問させていただきました。

 

私は、家の近くのショッピングモールでも迷子になるほど方向音痴で、ミンダナオ島に1人で行くことを話した際は、家族にも友達からも心配されました。しかし、行く前から私は自分の知らない世界に飛び込めることが楽しみで仕方がなく、出発の日を待ち遠しにしていました。そして、MCLに出発をする日、私はやはり空港で方向が分からなくなったのですが、フィリピンの方たちが本当に優しくて、向こうから”Where are you going?” と話しかけてくださり、大きな問題もなく、無事にダバオ空港たどり着くことができました。MCLの訪問を検討されている学生の方で、1人で行くことを心配されている方もいると思いますが、こんな私でもたどり着けたので、フィリピンの方の優しさに頼れば、大丈夫だと思います!

 

空港に着き、無事ドライバーのクヤボボンと合流をし、車の近くまで歩いていくと、そこに「MCL おおぐしあえみ(私の本当の名前はおおぐしえいみ笑)」と書かれた看板を持ったスカラーがなんと4人もお出迎えをしてくれました。私の到着時間は夜の11時を過ぎていたのに、スカラーが4人もお出迎えをしてくれるなんて!と深夜の眠気も吹き飛びました。その後、フィリピン人のソウルフード、ジョリビーで夜ご飯を食べて、3時間のでこぼこ道のドライブを一度も眠らずスカラーと話し続け楽しみ、夜の3時ごろ、MCLに到着しました。緑に囲まれ、夜はどこか神聖な雰囲気がある敷地内に虫の鳴き声が響いており、頭上には満点の星空が広がっていました。私が宿泊する部屋のあるメインハウスへ着くと、野良猫がかわいい声でお出迎えをしてくれ、着いて5分で異国情緒あふれるMCLの世界へ引き込まれていきました。

 

私は今回、MCLの訪問3回目だという大学生のちさきさんと同じ部屋に泊まらせていただいたのですが、このちさきさんがMCLでの生活を私に0からすべて教えてくださいました。ちさきさんがいなかったら、私はこれほどMCLでのステイを楽しむことができなかったと思います。本当にお世話になりました!!その日の夜は、ちさきさんにシャワーやトイレの使い方などを教えていただき、次の日の朝は朝食が6時過ぎだということだったので、すぐに仮眠を取りました。MCLでのステイ中は井戸が故障中だったこともあり、水が蛇口から出にくいことも多く、多少の不便はありましたが、蛇口から水が出ることは普通じゃないのだと、そのありがたさを学びました。また、水が出るタイミングを探してシャワーを浴びたり、バケツに溜めておいた水をカボ(フィリピンで一般的に使われている大きなひしゃく)ですくって水浴びをしたりするのも、日本ではない経験で私は個人的に楽しんでいました笑。

 

次の日、朝早く起きられるか心配だったのですが、にわとりの鳴き声が早朝からひっきりなしだったので、問題なく起きることができました笑。昨日の夜には見えなかったMCLの緑あふれる敷地内、ミンダナオの青い空、朝から掃除をしている子どもたちの姿、ここから3週間こんなに素晴らしい環境で生活ができると考えるとさらに胸が高鳴りました。ご飯をみんなで一緒に食べる食堂へ朝ごはんを食べに行くと、たくさんのスカラーが私に話しかけてくれました。こんなにもたくさんの人たちと食卓を囲むことが普段はないので、MCLでの食事の時間はいつも楽しく、スカラーたちとの食事の時間が毎日の楽しみでした。

 

その日は日曜日で、毎週日曜日はスタッフのAte Joyとスカラー何名かがキダパワン市内のマーケットへ買い出しに行くとのことで、同行させていただくことにしました。念願のトライセクルに乗り込み、キダパワンの緑あふれる街中を駆け抜け5分ほど、数えきれないほどの果物屋、八百屋、魚屋、肉屋、洋服屋が立ち並ぶマーケットに到着しました。中に入ると吊るされた豚の足、牛の足、何かの皮、山積みの鶏のもも肉、足、頭...?、日本のスーパーではありえない光景が広がっていました。中の商品はすべて量り売りで、大きな塊肉は目の前で切り分けて、魚は測ってビニール袋に放り込んで売られており、きれいに梱包された商品が広がっている日本のスーパーより、梱包材を消費しないうえ、自分の欲しい量が変える点ですごくいいシステムだと感じました。また、フィリピンでは鶏はすべての部位を余すことなく食べるらしく、日本では鶏の足や頭といった食べられる部位も捨ててしまっているのかともったいなく感じました。そして、マーケットではお客さんとお店の方の信頼関係が築かれているととても感じました。MCLはマーケットで買った品物を預けておくために、信頼ができるお店で毎週買い物をしており、日常の買い物から、お店の方とお客さんの信頼関係が生まれている人と人のつながりに感動をしました。その後もマーケットには毎週通ったのですが、本当にマーケットの方がフレンドリーで、卵屋さんの同じ年代の女の子とは友達になり、私のキダパワンのお気に入りの場所となりました。

 

そのあと、子どもたちがWelcome Partyを開いてくれました。お祈りから始まり、ダンス、ダンス、歌、歌、歌、と子どもたちのおもてなしの心、それを伝えようとしてくれている笑顔に私も自然とずっと笑顔になる時間でした。その中で、子どもたちが自分たちの部族(クリスチャンやムスリム、マノボなど)の歌を歌ってくれるコーナーがあったのですが、よく見てみると、さっきクリスチャンだった子がムスリムでも歌ってる??マノボ族なんか人多くない?などということに気づきました。その後のステイ中も、他のビジターさんが来られた際やお見送りのFarewell Partyに何度も参加をしたのですが、そのときも”Ate Amy, Come!!”と言われて子どもたちに付いて行き、結局私が全部族参加したみたいなことも多かったです。このことから、MCL内の宗教の多様性、みんなの宗教への寛容さをとても感じました。もちろん、MCLのみんなは自分の宗教の文化や考え方を大事にしていて、クリスチャンの子がキリスト教の考え方を丁寧に説明してくれたこともありました。でも、自分の宗教、文化だけじゃなくて、他の子の宗教、文化も大事にしているんだなと感じました。Welcome, Farewell Party以外でも、私の滞在中にムスリムがラマダンに入ったのですが、クリスチャンのスカラーがラマダンの詳しい話をしてくれたり、日常会話の中で「今あの子はラマダン中だから」といった会話があったりして、1人1人の中に他の宗教を尊重する姿勢が備わっていると感じました。世界で宗教対立で紛争などが起きている中で、MCLのみんなの他の宗教を理解し、お互いの文化を自分のものと同じくらい大事になって楽しむ姿勢が世界中に広がれば、MCLみたいに平和な世界が実現できるのかなと漠然と感じました、

 

多様性という繋がりでお話をすると、MCLには多くの日本では「性的マイノリティー」と呼ばれる子どもたちがいました。ただ、そういう子たちが、自分のジェンダーを隠しているわけでもなく、特別配慮をされているわけでもなく、他の子と何も変わらずに生活をしているなと私は感じました。そして、私にとって衝撃的だったのが、そのジェンダーの違いをスカラーたちがお互いにいじり合っていたことです。例えば、ある日女の子たちと一緒に料理をしながら恋愛の話をしていたときに、あるスカラーが別のスカラーに「あなたはレズビアンだからhalf boyなんでしょ」と言い、言われたスカラーが「いや、あんたもガールフレンドいるからBoyやん」といういじりあいの会話がありました。私は、こんなにもジェンダーの話題がオープンに笑いの種になっていることが驚きで、このことをとても印象深く覚えています。他にも、MCL内では「オカマ」という言葉が普通に使われていて、男子たちが”He’s Okama!!”, “No!! Not me. He IS Okama!!”とお互い笑いながら私に言ってきたこともあり、こんなに簡単に人にオカマって言っていいのかよとツッコミたくなりました。ここまでジェンダーに違いがあることが普通だとされていて、その違いがもはやジョークになっているくらいの社会になれば、性的マイノリティの方が肩身の狭い思いをしなくてもいい社会が実現できる、とMCLのスカラーたちを見て感じました。しかし、レズビアンのスカラーと話をしている中で、「学校は楽しいだけじゃない、差別もあるから」という発言もあり、日本よりもジェンダーの違いが受け入れられているフィリピンでも、すべてのジェンダーの人が何も苦労なく過ごせる社会の実現はできていないのだとも感じました。

 

平日の子どもたちが学校に行っている時間帯には、何度か、MCLの施設外に住んでいるスカラー(アウトサイダー)を訪問して、お小遣いを渡したり、状況を確認したりする活動に同行させていただきました。その道中の道が、車が通れることが信じられないような細くて、でこぼこで起伏が激しい山の中を進むことが多く、こんな山奥にも人が住んでいることに感動をしました。また、この環境で生活をするとなると、他の村へ行くことも一苦労で、日々困難に絶えないだろうなと感じました。アウトサイダーが通っている小学校を訪問すると、とっても笑顔がかわいい子どもたちにあっという間に囲まれました。でもやはり子どもたちは細い子が多くて、町の中心地から離れた地域では、地域全体の生活水準が高くなく、貧困は一つの家庭内だけの問題だけではなく、その地域全体の問題でもあるなと感じました。そして、アウトサイダーたちの境遇を聞いてみると、両親が亡くなり、おじいちゃんのもとで生活をしているが、そのおじいちゃんも病気がちで来年からは学校に行けるかどうかわからない、そのため現在支援者を探しているという子など、その家庭だけではどうしようもできない非常に厳しい現状を肌で感じました。学校に行けるか、今後生活をしているかギリギリの状況の中、それでも家族を思い、その家族を助けるために学業をしたいと願うスカラーたちの切実な思いに触れて、今まで自分の中で漠然としていた発展途上国支援というもの必要性が、現実味を増して感じられました。また、実際に厳しい状況にいる家族に会いに行き、現状を理解して、日本の支援者さんとつなげるという、1つ1つの家庭に寄り添ったMCLの支援の方法を見て、国や大きな機関ではできない支援があると感じました。

 

また、アウトサイダーの訪問中などミンダナオの道を走っているとき、一面バナナ!ココナッツ!といった景色に出くわすことが多く、私は最初は、BANANAAAAA!!!!と初めて見る景色に喜んでいました。しかし、ともさんに、これらのプランテーションはもともとは先住民の方たちが住んでいた土地に、紛争を通して無理やり作られたものだ教えていただきました。もともと現地に住んでいた方は、山に逃げ込み、そこでかつてとは違って土地の制約がある厳しい生活を強いられているプランテーションの背景を知りました。土地を追い出された先住民の方が、プランテーションの労働者となるケースもあるものの、非常に賃金が安いなど、状況はやはり厳しいことも知り、その土地に住んでいた人の利益を考えない、効率化のみを追求した農業の形態の無責任さを感じました。また、その広大な土地から問題の重大さ、自分の無力さも感じました。教科書でしか見ることがなかったプランテーションの現実を自分の目で見れたことが、とても貴重な経験になりました。

 

MCLの訪問中には、1泊2日でサンタマリアという海沿いの町も訪問させていただきました。移動中は車内でゆっくりすることもできたのですが、私は車の荷台に乗ることが大好きで、フィリピンの空気を体全体で感じていつも移動をしていました。このサンタマリアへのドライブも本当に楽しくて、みんなとスピーカーで音楽をかけて大合唱をしながらの3時間のドライブが、私のMCLでの最高の思い出です。この車の荷台から見たサンタマリアの景色が、本当に美しくて、青い空と海とマングローブ、素朴な家が立ち並び、その隣には日本にはない背の高い木々が並ぶ森林が広がっていました。しかし、近くで見ると、木の根元が実はごみの山になっていたり、きれいな浜辺も打ち上げられたごみが散乱していたりしており、このようなプラスチックごみが海に流れてマイクロプラスチックなど環境汚染をしていくのだなとも感じました。フィリピンの子どもたちといると、飲み終わったタピオカのごみを草むらに放り投げたりとかすることが日常だったこともあり、日本ではリサイクル、SDGsとうるさいほどに言っているけど、その教育を必要性をフィリピンで再確認しました。

話は少しそれましたが、サンタマリアでは子どもたちと海で鬼ごっこや貝殻探しをしたり、料理をしたり、ギターを聞いたりとのんびり過ごし、夜は廊下でみんなと川の字になって寝て、非常に充実した2日間を過ごしました。その中でも、特に印象に残っていることがフィリピンの伝統料理であるビコ作りです。ビコとはもち米と砂糖とココナッツオイルを混ぜたフィリピンの甘いお菓子です。MCLとのスカラーとのビコ作りはなんと、ココナッツに登って収穫をするところから始まりました。そして、大きなナタでココナッツの皮をむき、叩き割って半分にし、中身の白い部分(Lubi)を削って、というようにすべての工程が見たことのないテクニックで溢れていいました。もちろん、私はほとんど見ているだけで、ココナッツの皮をむいたり、Lubiを削ったりを少しだけお手伝いさせてもらっただけですが笑。普段は雑談を一緒に楽しんでいるスカラーたちのプロフェッショナルな一面を見て、同年代のスカラーたちへの尊敬を強く感じました。また、フィリピンの子どもたちはココナツの登り方、割り方といった伝統的な技術を家族から習うらしく、そのような自給的な生活が残っている文化に感動をし、この文化が近代化の波に負けずにさらに将来へ受け継がれていって欲しいと強く思いました。

また、ちょうど私がサンタマリアを訪問させていただく数日前に、23歳だったサンタマリアの元スカラーが血液の病気で亡くなってしまいました。サンタマリアではそのスカラーの家を訪問させていただきました。フィリピンでは経済発展が進んでいるものの、やはり日本ほど簡単に病院に行ける体制が整っておらず、定期的な健康診断なども普及していないため、今回のスカラーも体調が悪化し病院に行ったときには、もう手遅れだったそうです。このスカラーもこれから、仕事に就いて、お金を稼いで、家族を助けていく将来があっただろうに、その人生が短すぎる形で終わってしまったこと、もっと医療制度が整っていたら救える命だったかもしれないことにもどかしさを感じました。家から帰って来た後に、亡くなったスカラーと仲が良かったスカラーが、海をじっと見つめており、彼は「でも、これが人生だから受け入れないと」と話していて、小さなころから一緒に過ごしてきた存在を失う悲しみがそこにはありました。

 

ある日の夜、ともさんのお家でみんなとカラオケパーティーをしているときに、あるスカラーが私に自分の家族が置かれた状況を詳しく話してくれました。そのスカラーはいつもジョークを交えて流ちょうな英語で私に話しかけてくれて、歌もダンスも信じられないほどうまく、笑顔が素敵な人気者です。しかし、彼の父親は彼が小さなときに家族を離れ、今は別の町で新たな家庭を持っている、彼はお母さんと4人のお姉ちゃんと一緒に育ったと教えてくれました。彼の家族は今も食べ物が十分にはない状況で生活をしているらしく、彼はMCLでご飯を食べているときに家族のことを考えるそうです。彼の家族は彼に「ここにはあまり食べ物がないから帰ってこなくていいよ」と伝えるそうですが、彼は自分も家族が経験していることを経験したいから、ホリデーには家に帰るのだと言っていました。大変な状況でも、彼の家族はいつも大きな笑顔と声で笑っていて、冗談を言っていて、彼はそんな家族が大好きだと言っていました。彼は勉強に一生懸命に励み、仕事に就き、お金を稼ぎ、平らな土地に大好きな家族と一緒に住める家を建てたいと、将来の夢も語ってくれました。そんな彼の言葉1語1語が私の胸に深く突き刺さって、同じ学年の彼の現実や考え方を涙なしで受け止めることはできませんでした。特に、「自分のsacrificeを他人に知られたくないからいつも笑って、歌って、ジョークを言うんだ」と言った彼の”sacrifice”という言葉が彼自身を表していると感じました。”problem”ではなく”sacrifice”なんだ。彼は今までたくさんの辛い経験をしてきただろうけど、それを彼にとっては単純な困難ではなく、今に至るまでの犠牲で、これをばねに彼はここまで成長して、これからも成長をし続けるんだ。英語が得意な彼が選んで話す言葉は、たとえ1語にも大きな意味が込められていました。また、彼は他にも、結婚をするためにMCLを大学に入学する前に離れた姉や、学校が遠すぎるために学校に行けなくなってしまった甥の話もしてくれて、その日の彼の話の中に、ミンダナオ島が抱えている社会問題がたくさん含まれていました。

MCLのスカラーたちに将来の夢を聞いてみると、みんなが口をそろえて、「大学を卒業して、仕事について、お金を稼いで、家族を助けることだ」と話してくれました。フィリピンは物価が安いこともあり、10人兄弟の家庭であっても、その中の1人や2人が大学に入り、仕事を持つことで、家族全体を救うことができるのだとも、1人のスカラーが教えてくれました。たとえ1人の学生が抱えきれないような問題があっても、家族への愛を忘れずに、明確な夢を持ってスカラーたちは勉強に励んでいました。そんなMCLのスカラーたちが共通で持つ、強い家族とのつながりが私の心までを明るくしてくれました。

MCLの子どもたちの家族への愛は、周りにいるスカラーやスタッフ、そして私たちビジターにも向けられていて、みんなが私を前からそこで一緒に暮らしていたように温かく接してくれました。小さな小学生のスカラーたちは、私をいつも遊びやダンスに誘い出してくれて、似顔絵も描いてくれました。中高生、大学生のスカラーは私に常に話しかけてくれて、たわいもないジョークだけではなく、自分の今までの経験やお互いの文化、将来についてなど真面目な話もたくさんしました。MCLのみんなはお互いを理解しようという姿勢がとても強いので、英語の得意、不得意に関わらずとても話しやすかったです。そのため、MCLのみんなとは、日本の気楽な関係の友達とはまた少し違った、心と心のつながりができたと感じました。MCLにいる間は、みんなが私を受け入れてくれたので、自分を何も隠さないでありのままでいられました。


私はMCLでたくさんのスカラーから溢れるほどの愛をもらいました。だから、MCLを離れるときは本当にみんなに会えなくなることが悲しくて、Farewell Partyは始まる前からみんなの顔を見て泣いていました。でも、日本に帰ってきてからも、みんなとのつながりが無くなるわけではなく、今もMCLのみんなの笑顔が心に焼き付いていて、あのときのあの場所であのスカラーと…と愛おしい思い出たちがよみがえってきます。MCLにまた戻れる日が待ちきれない毎日ですが、MCLのみんなとの繋がりが私を支えてくれていています。前は気持ちが沈む日もありましたが、今は何が起きてもMCLのみんなが私のそばにいてくれるから乗り越えられるような気がしています。いつでも帰れる、安心できる場所ができた感覚です。私の一生を支えていってくれる経験をくれたMCLには感謝と大きな愛しかないです。
                                                                              大櫛 映美
(文章や写真の掲載許可をいただいています)


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