見出し画像

【葬儀で「笑う」ということ】

まだ40代の若さで
逝ってしまった女性のお見送り。

彼女は看護師であり
妻であり
3人の子をもつ母であり
嫁であり

故郷青森に
父が存命する娘でもあった。

闘病3年。
ずっと側でその看護をしてきた
夫や子どもたちは
どこかで覚悟を決めていたのだろうか。

取り乱す様子もなく
談笑する余裕を見せていたけれど。

青森から駆けつけた父の背中は
娘を失った落胆と
見知らぬ地に1人立つ孤独感で
小さく震えていたんだ。

☘️☘️☘️☘️☘️☘️☘️☘️

「3ヶ月前に
 この子の母親、私の妻も
 亡くなってるんです。

 なんで娘まで、、、」

年老いた父が悲痛な声をもらす。

どんな想いで此処にいるのか?と
第三者のあたしでさえ
胸が痛い現場だった。

「今回の故人は青森出身。
 その親御さんも青森から来る。
 手は足りてるんだが、、、
 この現場は
 あえて、、、入ってくれないか?」

手配をくれた時。
そう言ったこの葬儀屋の社長さん。
その言葉の意味を
お父さんの背中に理解した。

だからあえてこう切り出したんだ。

「お父さん。
 私もね、青森出身なんですよ。
 結婚してもう30年ながで
 地元離れて長いんですけどね」って。

その時ばかりは
お父さんの目がパーっと
明るくなった。

「青森のどこよ?
 俺もこの娘も八戸なんだけど。」

「私は青森ー」

「かちゃくちゃねーって
 使うとこだな笑」

「んだよ笑
 せばだばまいね。って
 使うとこだじゃ」

「そうかー☺️
 嬉しい。そのイントネーションを
 ここで聞けるとは思わなかったよ。」

たった一度。
この時だけはホッとしたように
笑ったお父さん。

その笑顔さえ痛々しかった。

私は今回。
ご主人でもなく
お子さん方でもなく
このお父さんに寄り添う。
そう決めた現場だった。

だって。
このお父さんに
寄り添ってあげられるのは
私とこの葬儀屋のスタッフだけ。
そう感じるお宅だったんだもの。

実の娘を亡くす痛みと
嫁を亡くす痛みは
行って帰るほど違う。

それは事実。
仕方ない事。

でもこのお宅の
義理のご両親は
それをまざまざと
見せてしまったのよね。

笑う。
笑う。
笑う。

孫たちが集まってきたのが
嬉しいとハイタッチして笑う。

親戚がワラビを持ってきたと
嬉しそうに話して笑う。

こんな楽しいことがあったと笑う。

故人のご遺体に背を向け
爆笑を繰り返す。

つられるように
故人の子どもさん方も
お参りに来てくれた友人方と
くだらない話に声をあげて笑う。

葬儀だから
笑っちゃいけない訳じゃない。
ただ。
故人を偲び笑うことと
背を向け笑うことは違う。と
何故わからないのだろう?

「富山は酷いところだ。
 なんでこんな悲しい葬儀で
 近しいモンたちがみんな
 関係ない事で笑うんだ?

 八戸でこんな葬儀見たことない。」

とうとうお父さんの口から
そんな言葉が飛び出した。

富山の人がみんな酷い訳じゃ無い。
八戸にだって
いい人ばかりがいる訳じゃない。
そんなことは
わかっているはずなんだ。

でもこの事態の中で
思わず出てしまった言葉なんだろう。

これ以上。
このお父さんのココロから
血を流させる訳にはいかない。

富山の名誉も守らんなん。

だから。
精一杯お父さんの側に添った。
そして娘さんの話を
たくさんたくさんした。

葬儀屋の社長さんも
たくさんたくさん
お父さんの想いを受け止めてくれていた。

その気持ちは通じたのだろう。
全ての仏事が終わり
帰り行く間際
お父さんは私の手を握り
こう言ってくれたんだ。

「旧友がいてくれたと思うくらい
 あなたがいてくれて救われました。
 ありがとう。
 どうかどうかお元気で。
 
 ああ、、、でも大丈夫だね。
 あなたは富山のいい人たちに
 囲まれているからね。
 きっと大丈夫だ。

 せめて。
 ここで葬儀が出来て良かった。
 ありがとう。」

葬儀に参列する時。
絶対に忘れないで
持って行って欲しいもの。

それは
【思い遣る優しさ】だけなんだと思う。

笑っちゃいけないんじゃない。
故人と共に笑うなら
それは供養にすらなる。

ただ。絶対に。
故人に背を向けて笑ってはいけない。

そこには
涙どころか
心から血を流すほど
心が死んでしまうほど
悲しんでいる人が
いるかもしれないのだから。

忘れないで欲しいと願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?