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【死なないという選択肢】

葬儀の司会者として歩き始めて
15年という歳月が流れた。
ざっと計算してお見送りした人の数は
2000人近くになる私。

大した記憶力を
持ち合わせている訳ではないので。

そのほとんどは
記憶の彼方。

なのだけれど。

忘れられない葬儀が
頭の中にこびりついて離れない葬儀が
いくつかある。

そのほとんどが
「自死」の葬儀。

自死で逝ってしまった方を送る
遺族の目の色は
他の死因で家族を亡くした方々と
全く違うからなんだと思う。

悲しみ以上に
絶望や怒りが渦巻き
そのまた奥に自責の念を抱えこんでいる目。

直視することが
憚られるほどに
暗い闇をその目に宿す。

その中でも
子を自死で亡くした
親御さんの闇は深い。

もう何年前になるだろうか。

8月31日に自ら命を絶った
少年の葬儀についたことがあった。

弱冠16歳。
高校生だった。

遺書は無かったそうだ。
イジメがあったのではないか?と
囁かれていたけれど。
ハッキリとはしなかったそう。

仏事のあいだ中。

彼のお母さんの目が
すでに生気を無くしていたのを
ハッキリと覚えている。

突然号泣したかと思えば
次の瞬間には呆けている。
呼んでも返事はなく
誰の声も届かなくなっていた。

彼のお父さんは
気丈に式を取り仕切っていたけれど。
その目には
暗い闇がいやというほど
宿されていたっけ。

そこにたくさんの生徒さんたちが
先生に引率されて
参列にやってきた。

神妙な面持ちの子。
泣きはらしている子。

そんな中に

大騒ぎはしないまでも
半笑いでふざけている子たちがいたんだ。

「マジだりー」

「つーか死んでくれてサッパリしたじゃん」

「てか、めんどくせー。
 うぜー。帰りてー。」

心無い言葉が聞こえてきた。

先生が静かにしろと制しても
ふざけたまんまのその子たち。
笑い声があがる。

その態度に全く関係のない私ですら
殴ってやりたい衝動にかられた。

そんな衝動を必死に抑えていたとき
背後に気配を感じたの。

振り返ると…
彼のお父さんが立っていたんだ。

目が合った。

次の瞬間。
私に悲しく笑いかけると
黙ってその場を
立ち去ったお父さん。

その背中は怒りで震えていた。
当たり前だ。
当たり前だ。

大切なお式の前に
よりによって。

なんてことだろう。

心配で仕方がなかった。
お父さんは冷静にお式に
臨めるのだろうか?

でも。
お父さんは式を締めくくる
喪主挨拶の中でこう言ったんだ。


「今日この会場には
 息子によくしてくれていた子たちも
 そうではないかもしれない子たちも
 いらっしゃると見受けました。

 でも私はその全ての子たちに
 一つだけ伝えたいことがあります。

 絶対に死なないで下さい。

 夏休みの終わりに
 もし死にたいくらい
 学校に行きたくない理由があるなら
 行かないでいいんだ。

 逃げればいい。
 逃げたっていいんだ。

 生きていれば
 生きてさえいれば
 いつか必ずやり直せるのだから。

 私たちのような
 こんな思いを
 決して親御さんにさせてはいけない。

 生きてください。
 お願いですから
 生きて下さい。

 生きてあげて下さい」

ずっと忘れられるない挨拶だ。
8月の末日が来るたびに思い出す。

あのお父さんの魂の叫びが
1人でも多くの
悩める若者に届きますように。

8月31日の夜に
願いを込めて。。。

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