20230125

 義理のお姉さんと甥っ子が家に来た。車のチャイルドシートを大きいサイズに取り換えにきたらしい。兄夫婦が住んでいる市よりも自分ら家族が住んでいる市の方が子育て支援に力を入れているようで、指定の業者からチャイルドシートをリースすると料金の半額を助成してくれるらしく、こっちでチャイルドシートを取り寄せているとのことだった。市の子育て支援について義理のお姉さんが友達に文句を愚痴ったところ、その友達の市では子育てなんかよりもコウノトリの保護に税金を費やしていると返されたというエピソードを聞いて、ずいぶん身体を張ったジョークだと思った。甥っ子がしっかり上半身を立たせてお座りの姿勢を取れるようになっていた。これだけで以前と印象が全然違う。時々、自分の頭の重さで後ろにひっくり返って泣いていた。ポンプを押すとジャンプするカエルのおもちゃを父があげていたけど、それよりもおもちゃを包装するために使われていた台紙の方に興味があるようだった。
 久々にVHSのビデオテープを取り出して兄が1歳の頃の映像をみんなで見た。夏の日、静岡の社宅の庭で撮られたものだった。まだ自我も芽生えていない無垢な兄———まだ兄じゃない―――が社宅の子どもたちと遊んでいる。正確には、兄が一人で歩き回ってそれに年上の子どもたちが付き合ってあげている。映っていた母がとても若い。父と母があれは誰々の子だっけと昔の記憶を掘り返していた。何とも言えない感情が込みあげてきて思わず泣きそうになった。自分の知らない家族の暮らしがそこにはあって、それが保存されて当時生まれていなかった自分が見ることができる。以前Google Mapのストリートビューで、亡き父が家の前で母の帰りを待っている様子が偶然残されていた人の話を聞いたときも似たような気持ちになった。今、こうやって書き記しているけど上手く伝えきれていない。きっとそれ以上のものを受け取ったような気がする。
 あとになってコブクロの『願いの詩』のMVの情景を思い浮かべた。寝るとき、自分の布団で昼寝していた甥っ子の匂いがした。

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