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人は何を信じたら、間違わないのか。


不穏なニュースに、こういうことを考えずにいられませんが、
…難し過ぎますね。

信じるものがあれば、
自分にとって
「正しいもの」と
「正しくないもの」ができるわけで。
そこに諍いが生まれるわけで。

だったら
何も信じずに
覚悟を持って
すべてを認め受け入れる方が
誰も傷つけないし
和が生まれる方がいいのでは、
とは思うけれど。

でも
人は間違うものだし。
中立というのは思った以上に難しい立ち位置になるし。
宇宙規模に広い心を持てる人は
いるだろうかと言われると甚だ疑問だし。

信じる対象が実在の人物なら、その人物が揺らげば自分も揺らぐ。
信じる対象が実在のはっきりしない存在なら、揺らぎは小さいかもしれないけど、際限なく信じられるということは暴走にも繋がる。

自分にも周囲にも、とことんがっかりする日もあれば、まんざら捨てたもんじゃないな、という日もある。

矛盾だらけ、答えのない問だらけですね。
夏目漱石先生も確かおっしゃっておられましたが、人間は物事をわざわざ複雑に難しくして苦しんでいますね。
安心や幸せを追求しておかしな歪みが起こる。

自然界の生き物の、何にも守られず、縛られず、
残酷ルールにも屈せずシンプルに生きる様子に心打たれます。
無い物ねだりかしら。

ともあれ、やれやれ、な日々を乗り越えて、定められた時までは、投げ出さず全うしたいものです。

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