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人一倍不器用な私

「貴方みたいな人初めて出逢った」

「貴方みたいな人見た事ない」

これらは生きてきた18年間何度も言われてきた言葉である。
学校の先生や友達、そして親にも言われたことだ。
親にまで言われるのは流石にやばいか。
いや、個性は大切だから問題無し。

簡単に自己紹介をすると、私はこの春に大学1回生になった18歳だ。
理系科目が苦手なのに理系の道に進み、高校の先生にお前には無理だ(学力的な問題で)と言われた大学に見事合格し通っている。
この話はまたどこかで。

昔から、私は人に迷惑をかけてきた方だ。
人より劣っていることが多い。
小学校を思い返すと、どの科目でも不器用を発揮し上手くできていなかった。
国語は漢字を覚えることが苦手。
算数は計算が苦手。
理科は実験の方法や色んなことを覚えるの苦手。
社会は人物名や出来事、それらの漢字を覚えることが苦手。
英語は単語や文法を覚えることが苦手。
音楽はリコーダーが苦手。
図画工作は工作が苦手なのと人に作品を見せるのが苦手。
体育は運動が苦手。
家庭科は裁縫や細かい作業が苦手。

私はリアルのび太君だと自称している。
のび太君に失礼か、ごめんねのび太君。

正直、生きるのが大変だったのは覚えてる。
運動会では、リレーのバトンパスが出来ない事やダンスを覚えられなかった。
音楽会では、リコーダーが下手で1人浮いた音色を出していた。
その時に隣の人にお前のリコーダー下手だと言われ、それ以来吹いている振りをするようになった。

そんな私は学校が嫌いだ。
だが、全てが嫌いな訳では無い。
人間関係には恵まれた方だった。
私の特徴を理解してくれた先生方、友達など様々な人に恵まれてきた自信だけはある。
皆、私が出来るようになるように考えて教えてくれた。
そのおかげか、人並み以下ではあるが出来るようになったことも多い。
その時は嬉しかった。
もし、この人たちがいなかったらどうなっていたのだろうか。
私は給食と先生と友達に会いに行くために学校に行ってるようなものだった。

高一の冬、人生を振り返って私はあることに気づいた。
人に恵まれるのは当たり前の事じゃない。
そして、出来ないことが出来るようになる喜びを味わうことが出来るのも当たり前じゃない。


そうだ


出来ないことが出来るようになる喜びを私も体験させてあげたい。


こうして人一倍不器用な私は学校の先生を目指すことにした。
多分、向いていない。
だけど、やれるだけやって見たい。
やる前から諦めるのは違うはず。


そんな私の日常と過去、考えていることを書いていきたい。

あぁ、こんな人も居るんだな。

そんな気持ちで読んでくださればと思います。

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