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礼拝メッセージ要約 2023.5.21「用いられたロバのように」

○マルコの福音書11章1節~10節

 イエス様と弟子たちは、これからいよいよイエス様の最後の十字架の時を迎えるために、エルサレムに向かっていました。その時期は、年に一度の過越しの祭りの期間だったので、各地方にいたユダヤ人がエルサレムに集結して大混雑になっていた。そして、イエス様は、オリーブ山のふもとのベタニヤという街に滞在し、その北にあるベテパゲという街に2人の弟子を遣わしてあることを命じます。

1.まだだれも乗ったことのない子ろば

 イエス様は、2人の弟子に「向こうの村(ベテパゲ)へ行き、まだだれも乗ったことのない子ろばが、つながれているので、それをほどいて、引いて来なさい。

もしだれかが、『なぜそんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐに、またここにお返しします』と言いなさい」と命じます。遣わされた弟子が、ろばを見つけて、それを持ち主に事情を話すと、持ち主は、子ろばを快く貸してくれます。これは、ゼカリヤ書9章9節に「見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。」という預言があり、イエス様は、その預言を成就するために、子ろばに乗って、エルサレムに向かわれたのです。また、この子ろばは、「まだだれも乗ったことのない子ろば」でした。これは、その子ろばが清いものであったということを表し、初めて人を乗せる子ろばは、暴れるのが普通ですが、この子ろばはイエス様を快く受け入れてくれるのです。

 同じように、神様は私たちに、時に経験したことのないチャレンジをするように導かれることがあります。「初めてなので無理、出来ない。」と思う人もいるかもしれませんが、私たちは、「主がお入り用なのです。」そう言われた時に、子ろばのように従順に、自らを差し出していく者でありたいと思います。そして、私たちが信仰の一歩を踏み出す時に、神様は、必ず必要な助け手を与えて下さるのです。

2.平和を作り出すもの

 次に考えたいのは、なぜゼカリヤの預言で、なぜメシアの乗る乗り物がろばだったのでしょうか。それは、イエス様が、どのようなメシアとして来られたのか。そのことを表しているのです。当時イスラエルはローマに支配されていたので、人々はローマを武力で倒して、我々を解放してくれるメシア像を持っていました。しかし、イエス様は、イスラエルの国家を武力によって解放するために来られたわけではありませんでした。イエス様は、全世界の人々の魂の救いという大きな計画を持っておられたわけです。

 このロバという動物は、平和の象徴であり、メシアであるイエス様が、剣、武力ではなく、争いではなく、平和をもたらすために来てくださった。そのことを表しているのです。同じように、イエス様は、ご自身の弟子である私たち一人一人を、それぞれの場所で平和を作り出

す者となるよう、望んでいらっしゃいます。マタイの福音書に「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」とあるからです。

3.栄光は主のもの

 イエス様がエルサレムに入城される時、人々は自分たちの上着や葉のついた枝を敷いてイエス様を迎えました。それは、人々がイエス様をメシア=王として迎えたということを表しています。この時、子ろばは、大歓声の中エルサレムに入城しましたが、歓声の対象となっていたのは、イエス様です。私たちも人生の中で、時に何かを成し遂げて、人々の賞賛を受けることがあります。しかし、私たちは、全てを与えてくださる神様に栄光をお返しするべきです。そのような意識が、高慢という誘惑から私たちを守ってくれるのです。私たちも子ろばの様にそれぞれの場所で、神の栄光を現す者として用いて頂きたいと思います。(T・H)

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