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メッセージ要約 2024.8.4 「人はうわべを見るが、【主】は心を見る」

今日はダビデの選びの場面ですが今日の箇所にこういう有名な言葉があります。

1サム16章7節「人はうわべを見るが、主は心を見る」

私たちも人を見る時、また自分自身の歩みを見つめる時この視点が大切であると思います。

今日もダビデの生涯を見ていきます。

少し背景を見ていきたいと思います。紀元前1000年頃、士師の時代。イスラエルの民が他の国のように王を求めたため、神様はサウルを初代の王として選びました。しかし、サウルは高慢になり、不従順に陥り、神様の命令に背くようになりました。その結果、神様はサウルを退け、新しい王を選ぶためにサムエルをベツレヘムのエッサイの家に送りました。

今日はここから「人はうわべを見るが主は心を見る」という題で2つのポイントで見ていきたいと思います。

1. 人はうわべを見る

サムエルは主の命令によりベツレヘムのエッサイに会いに行きます。5―7節その人たちに対しサムエルは私がきたのは平和なことですと伝え、長老たちに祝宴に来るよう招きます。そしてその時エッサイと息子たちも連れてくるよう命じるのです。

このダビデの父エッサイとはどのような人物だったのでしょうか?

エッサイのおばあちゃんはルツでモアブ人です。ルツ自体は良い人でしたが、モアブ人はアブラハムの甥のロトが自分の娘たちと関係を持って生まれた民族でした。またおじいちゃんはボアズで、ボアズのお母さんはラハブです。ラハブはイスラエルがカナンに入って攻めたエリコの町で遊女だった人です。つまりエッサイは異邦人であり罪人の家系の出であったといえます。 

神はその家系を選び真の王を建てる計画を持っていたのです。

神様の基準は世の基準とは違うのです

サムエルがエッサイの7人の息子たちを見たとき、彼は長男エリアブの見た目に惹かれました。エリアブは長身でイケメンであり、初代の王サウルに似ていました。サウルもまた美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかったとされています。しかし、神様はエリアブを選びませんでした。神様はサムエルに対して、「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ」とおっしゃいました。

一般的に、人は他人を見た目や経歴で判断する傾向があります。見た目が良い人や成功している人を高く評価し、逆に見た目が悪い人や失敗している人を低く評価することがあります。しかし、神様はそのような表面的な部分ではなく、その人の心を見て評価します。私たちもまた、他人を見た目や経歴で判断するのではなく、その人の心を見て評価することが大切です。

2. 主は心を見る

サムエルはエッサイの七人の息子たちを次々見ていきますが、全て違うと示されます

11節 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」

エッサイは言います「まだ末の子が残っています。「あれは今」今、羊の番をしています。」サムエルは人を遣わして連れてくるように命じます。

この時末の息子ダビデは家族から排除されていました。諸説ありますが、ダビデは家族から蔑まれていました。彼の母については聖書は沈黙しています。イスラエル史上もっとも有名な王の母の名が記されていないのです。サムエル記を書いた人は知らなかったか、意図的に隠したのかもしれません。また、この時エッサイはダビデを疎外しています。前の訳ではサムエルに問われた時「アレは羊の番をしています」と答えています。アレ扱い。息子としてカウントされていないのです。そして兄たちもダビデに対して冷たいのです。兄弟の冷たさはダビデの生涯を通して一貫しています。次の箇所でゴリアテと戦う時、ダビデが父に言われてペリシテ軍と戦っている兄たちを見に行く場面があります。そのとき、長兄エリアブはひどく怒っています。また、兄弟たちが生前、ダビデを支援した記事はありません。ダビデがサウルに追われ流浪している時も兄弟たちは支援していません。また、ダビデが王になった後、息子のアブシャロムに命を狙われた時もダビデを支援した人々の中に、ダビデの兄弟たちは一人も書かれていないのです。他の兄弟と母親が違ったため、ダビデは蔑まれていたのかもしれません。

サムエルがエッサイの息子たちを次々と見ていく中で、神様はダビデを選びました。ダビデは見た目ではなく、その心が神様を求めていたからこそ選ばれました。ダビデはその後、多くの間違いを犯しましたが、その度に神様に立ち返り、神の御心を求め続けました。サムエルがエッサイの息子たちを次々と見ていく中で、神様はダビデを選びました。神様はダビデの心を見ておられました。ダビデは見た目ではなく、その心が神様を求めていたからこそ選ばれました。ダビデは名もなき羊飼いの少年であり、人の目から見れば取るに足らない存在でした。しかし神様は彼の心を見てイスラエルの王に選びました。ダビデはその後、多くの間違いを犯しましたが、その度に神様に立ち返り、神の御心を求め続けました。神様は見た目や経歴ではなく、心の状態を重視します。

神様の評価を第一に

神様はダビデという名もなき羊飼いの少年を、人々から見れば取るに足らない存在と思われる者から王として選ばれました。彼は蔑まれた家系の中で最も軽視された存在でありながら、神様は彼の「心」を見てイスラエルの王に選んだのです。この選びは歴史に残る成功ストーリーであり、ダビデはまさにシンデレラボーイと言えるでしょう。

しかし、ダビデに起こったこと以上のことが、私たちがイエスキリストを信じたときにも起こります。それは罪人が神に見出され、神の子どもとされることです。神様は私たちが救いから最も遠い存在であったとしても、私たちが十字架の救いを受け入れた時の「心」を評価してくださり、私たちを罪人から神の子どもとして受け入れてくださったのです。これこそが私たちが神を信じる立場であり、非常に素晴らしいことです。

改めて、神様は私たちの心を見ておられることを覚えておきたいと思います。

私たちは日々様々な人からの評価にさらされて生きています。人々からの評価を得るために、私たちは時間を費やし、その評価に振り回されることもあるでしょう。

しかし、最も大切なのは神からの評価を第一にして生きることです。神様の目に正直に歩むことで、生き方はシンプルになります。他人の評価に左右されず、神様からの評価を重視することで、ジェットコースターのような日常から解放されることができます。

人生で大切なことは、神様が私たちの心を見ておられることを覚え、神様からの評価を第一にして誠実に歩むことです。(T.N)


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