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礼拝メッセージ要約 2023.4.16 「エマオの途上にて」

鶴と思い助けたが、恩返しもなく逃げられた。調べたら、助けたのは鶴ではなく鷺(サギ・詐欺) だった。
 人は、思いこむと他の見方をするのが難しくなる。イエスの弟子たちは、復活を知らされても信じな かった。(11-12 節)不信仰だった弟子たちが殉教覚悟の宣教ができたのは?変化のプロセスを探る。

1,目が遮られていた弟子たち(13-14 節)
 2 人は失意の中エマオに向かっていた。1 人は「クレオパ」、もう 1 人は誰か?記述がな いのは「妻」の可能性が高い。(ヨハネ 19:25)妻はイエスの十字架刑を目撃していたので、復活のニ ュースは信じられなかった。(15 節)そんな 2 人にイエスご自身が近づき共に歩き始める。(16 節) 「しかし、二人の目はさえぎられていて・・・わからなかった」肉体の目・霊の目・心の目。何が 2 人の目を遮っていたのか。

2,心の目を遮るもの
 (1)逆向きの歩み…彼らは、(象徴的に)西に(エルサレムからエマオへ)、日没に、暗闇に向かい、歩 いていた。求めない、探さない、たたかない人生ではなく、「世の光」であり希望であるイエスに向か って歩まねばならない。
 (2)非生産的な話し合い…(14-15 節)復活が信じられない、不信仰で絶望的な話し合いだった。
 (3)独断と偏見…(21 節)イエスを政治的なメシヤ、ローマからの解放者だと期待していた。

これらのことから、彼らの心の目は遮られていた。あなたには神が見えているか? 「どんな姿で歩くより、どこに向かって、誰と一緒に歩いているかが大切である。」(レーナ・マリア)

3,心の目が開かれた弟子たち
 (28-29 節)イエスを引き留め「強く勧め」るほど熱心に求める者にイエスはご自身を現す。 (30-31 節)「目が開かれてイエスだとわかった」 復活を確信し、悲しみは喜びに、絶望は希望に変 わった。

イエスの復活は、信じる者の復活を保証した。「死」は、どんな成功者にも権力者にも避けられな いもの。イエスキリストだけが「死」に勝利された。そして、信じる者も「死」に打ち勝つ人生を歩 むことができる。肉体の死を恐れることはなくなる。
4 人の伴侶を1肉体、2財産、3家族、4イエスさま、に例えると、どれも大切だが死の向こう側 まで一緒に行って下さるのはイエスさまだけ。よみがえって共にいて下さるお方です。 (Y・I)

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