「牧師夫人の徒然なるままに」(八一五)「一つの幸せの分け前」
私は時々、幸福感を満喫できなくなります。それは忙殺されている時に起こりがちです。自分で引き受けた仕事であるにも関わらず、時間の配分等がうまくいかなくなり、苛立ちとともに幸せ気分が崩れ去るのです。インマヌエルなるお方が常に共にいてくださるという平安は深いところで覚えられるのですが、私の全身はその平安を表現出来なくなるのです。
その日もそうでした。あれをして、次はこれをして、それが終わるとあの事、この事を、と終わりのない課題に振り回されて苛立っていました。その時に帰国中の娘